ディジュリドゥ奏者・画家GOMA「交通事故で脳に障害、記憶を失っても音楽活動は諦めなかった。意識が戻る時に見てる〈ひかりの世界〉を描かずにはいられない」
そんな時アボリジニの友人に、ダーウィンから500キロほど離れた彼の故郷へ行こうと誘われたのです。ディジュリドゥの聖地であるアーネムランドというその地では、ビーチに寝泊まりしながら、楽器の材料集めを手伝ったり、演奏を習ったりして。 ディジュリドゥは、白アリが芯を食べて空洞になったユーカリの木を使って作るのですが、気温が40℃を超えるなか、切ったユーカリを束ねて担いで運ぶのはきつかった。(笑) 2~3ヵ月の滞在中、アーネムランドで開かれるディジュリドゥのコンペティションに出てみないかと声をかけられまして。出場者の9割がアボリジニというなかで、なんと僕が準優勝。外国人としては初受賞だったようで、みんな驚いていましたね。 オーストラリアに1年ほど滞在した後は、妻と渡英。イギリスの音楽が好きだったということもあるけれど、オーストラリアがイギリスの植民地だったので歴史的なことも知りたかったし、ヨーロッパではディジュリドゥの認知度が高く、音楽活動の足掛かりになるだろうと思ったのです。 ちょうどこの頃、ジャミロクワイというミュージシャンが楽曲にディジュリドゥを取り入れたことで、世界的に知られる楽器になりました。2002年に帰国した時には、時代の後押しもあり、野外フェスに呼ばれたり、自分の音楽レーベルを作って全国ツアーをしたり。こうして音楽活動で生活できるようになっていったのです。
◆交通事故の後遺症で記憶障害に 娘も生まれ、充実した日々を送っていた09年11月26日。首都高速道路を車で走行中、後方から追突される事故に遭いました。意識を失い、目が覚めると病院のベッドの上。追突された時に全身に激痛が走ったことは確かだけど、それ以外はほとんど覚えていません。 妻が言うには、肩甲骨あたりに違和感を覚えていたようですが、翌日には退院することに。でも、言葉がうまくしゃべれないし、体にも麻痺が出て思うように動かせない、それに記憶がはっきりしない。事故以前のことを思い出せないだけではなく、5分前の記憶も消えていく。 たとえば用事があって出かけたはずなのに、突然脳がストップして、どこに行こうとしているのか、今どこにいるのかもわからなくなる。人に「この間も会ったよ」と言われても思い出せない。こうしたことが重なると、不安と焦りばかりが募ります。 あちこち病院を受診するも、原因は特定されませんでした。「精神科にでも行ってみますか?」と言われたこともあり、頭がどうにかなってしまったのではないかと、ただ恐怖でした。時々、妻や4歳だった娘に暴言を吐いたり、ものを壁に投げつけたりもしていたようです。 でも僕はまったく覚えておらず、意識が戻ってから穴の空いた壁を見てはショックを受け、落ち込んでしまうことの繰り返し。自分が何をするかわからないと思うと恐ろしく、生きていてもしょうがないと思い詰めるようになっていったのです。 何軒目かの病院で、ようやく「高次脳機能障害」と診断を受けました。脳梗塞などの脳血管障害や交通事故で脳外傷を負うなどした際に脳が損傷すると起こるもので、記憶を失う、集中力がなくなる、感情が制御できなくなる、失語などさまざまな障害が出るそうです。 事故から1年ほど経った頃、高性能のMRIがある岐阜の病院で検査を受け、思っていたよりも脳のあちこちに傷が散らばっていることが判明。そして、傷ついた細胞は二度と戻ることはないと聞かされ、思わずその場で泣き崩れてしまいました。