「どうせ自分なんて」が口癖の人たちへ…アドラーが説く、今日の人間社会は「すべて劣等感から生まれた」ということ
「どうせムリ」「私にはできない」……。ついついネガティブワードが口をついてしまう、そんな劣等感に悩む人に知ってほしいのが、心理学三大巨頭の一人・アドラーの言葉だ。劣等感は「悪」なのか。「劣等コンプレックス」とは何が違うのか。長年、アドラー心理学を研究・普及してきた岩井俊憲氏が、アドラーの言葉をわかりやすく「超訳」してお伝えする。 【写真】「劣等感は健康の証」。アドラーはそう言い切る (*)本稿は『超訳 アドラーの言葉』(アルフレッド・アドラー著、岩井俊憲編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・再編集したものです。 【関連】アドラー心理学:「自己中心的」な子どもに共通する親の子育て…アドラーが説く「甘やかされた子」「憎まれた子」に欠ける共同体感覚 ■ 人間は劣等だからこそ発達した 自然界にあまたいる生物のなかで、人間は「劣等」な生き物だ。体も大きくなければ、強い角も牙もない。圧倒的に速く走れるわけでもない。そして「劣等」であるがゆえに、「不足している」「安全ではない」という意識を人間は常にもっている。 その意識が常にあるからこそ、環境に適応し、安全に生きる状況を作り出すために、外敵に備えておくことや対策をしておく方法などを考えだしたのだ。 この人間を環境に適応させ、安全な場所をつくる能力をもちえたのは、人間の「精神」という器官が発達したからである。 『人間知の心理学』
■ 人間の社会文化のすべては劣等感から生まれた 「劣等感」は、異常ではない。むしろ、人間が進化していくにあたって、重要な要素だ。 例えば、科学の進歩は人間が「未知のことを知りたい」「将来が不安だから備えておきたい」という願望があるからこそ成り立つ。 この欲望があり、科学の進歩があるからこそ、種としての人間の運命を改善してきているのだ。だから、人間の社会、文化のすべては、劣等感から生まれるともいえる。 『人生の意味の心理学 上』 ■ 劣等感があるから向上心をもつ 劣等感を抱き、「不完全である」「弱い」「安全ではない」からこそ、人は目標を設定するものだ。 生まれてすぐの頃であっても、主張し、親の注目を自分に向けようとし、親からのケアを強いる傾向がある。赤ん坊のこの行為は、人の「認められようと努力する」という行為の最初の兆候ともいえる。 人は、劣等感に刺激されて向上心をもつ。成長したいと願い、そしてそのために努力しようとする。 『人間知の心理学』