『光る君へ』ロスのあなたに、今だから話せる裏話。道長が左手を布団の外に出していたのは…。打毬の試合をまひろは見ていなかった?
◆まひろや倫子は打毬の試合を見ていなかった?! もう一度見たい思い入れのあるシーンを選ぶコーナーで、柄本さんが取り上げたのは、7話に登場した打毬(だきゅう)の場面。撮影は2日間に及び、この日のために7ヵ月くらい前から練習を重ね、準備をしたそうです。 「みんなかっこよかった!ほんとうに暑かったのに、よくがんばったなあ……」と、ねぎらいの言葉をかける吉高さん。「試合の最中も、道長はまひろのことを見ていた」などとトークが盛り上がるなか、「でも、まひろたちは、試合しているところは見ていないんですよね」と中島さんがポロリ。打毬の試合の場面の撮影時、実は女性陣はその場におらず、観戦するまひろや倫子たちの様子は別撮りだったことを明かしたのです。 想定外(?)の暴露に、「言わないで!!見てたの!かっこいいと思ってたの!」と吉高さんが慌てて取り繕ったものの、客席は大爆笑。「(まひろの顔を指さして)ほら、うれしそうだよ。見てなかったら、こんなリアクションできないよ!」と言い張る吉高さんに、「見てなかったらできないよねぇ」と柄本さんも調子を合わせる。楽しいやりとりに会場が沸きました。 そして、話題は最終回のことに。 病身の道長を演じるため、柄本さんがかなり痩せたという話を受けて、柄本さんが裏話を披露。「道長が亡くなるシーンを撮る前に、『宇治川のほとりシーンもよかったけど、あのときはやつれたの?』と中島さんに聞かれたので、『はい、台本に〈やつれている〉と書いてあったので』と言ったんですよ。そしたら『じゃあ、もうちょっとね』と(笑)」。つまり、「中島さんは、宇治川のシーンのときよりも、もっとやつれてほしいのだな」と解釈し、さらに減量に努めたというのです。 もっとも中島さんの記憶では、「私、そんなこと言ってない!」とのこと。真実は神のみぞ知る、でしょうか。
◆最終回、倫子が涙を流さなかった理由とは また、道長が亡くなるとき、左手を布団の外に出していたのは、脚本にはない演出だったとか。「倫子には申し訳ないけど、あの手はまひろを探していて、そこで息絶えたのかなあ、と。で、最後は私が納めますと、その手を倫子が布団に納めた」という中島さんの説明に、吉高さんは思わず、「怖いよね~」。倫子は、あの左手がまひろを探していたことに、気づいていたのだそうです。 さらに興味深いのは、「倫子は涙を流さない」と脚本に明記されていたこと。その意図について、大石さんはこう語りました。 「倫子はあそこで、ある意味、すっきりしたというか、『自分の人生の第1章は終わり』だと考えたんです。だから涙は流さなかった。その後、倫子は80代まで生きますからね。(道長の死で)ひとつの時代の終わりを認識したという醒めた気持ちだったと思います」 そして、いよいよラストの場面。「嵐が来るわ……」というセリフのあとのまひろの表情が、「少しほほえんでいたように見えた」という岩槻アナに、中島さんが、「セリフを言うときは笑っていないんだけど、嵐が来るという暗い顔で終わりたくないというのもあって、歩き出すときに、ちょっとニュアンスが入っていた部分はあります」と解説。変化していく時代を「見届けるぞ」といった気持ちを含んだ表情だったことが明かされました。 翌日が柄本さんの38歳の誕生日ということで、最後は「ハッピーバースデー」の合唱でフィナーレに。約3時間の充実のイベントが終了しました。 トークショーでも何度も話に出たように、その日は美しい満月の夜。たくさんの人が空を見上げて、『光る君へ』の世界との名残を惜しむように、月の写真を撮っていたのが印象的でした。
SUMIKO KAJIYAMA
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