『光る君へ』ロスのあなたに、今だから話せる裏話。道長が左手を布団の外に出していたのは…。打毬の試合をまひろは見ていなかった?
◆あのオープニングがもう流れない寂しさ 「いやあ、頭が真っ白になっています。最終回を観終わったばかりの人たちの前にいるのが、不思議な感じですね」。最終回を迎えた心境を問われた柄本さんからは、率直な感想が。「(撮影初日が)ついこのあいだのことのような感じがして……。長いなあと思ったときもあったのですが、やっぱり、あっという間でしたね」 吉高さんも、「撮影からこれまでの期間が、走馬灯のように頭のなかで巡って……」としみじみ。「でも、まだどこかで終わっていないような感じもするんです。あのオープニングが、もう流れないのかと思うと、寂しい気持ちでいっぱいです」 そして、この日、お礼のために参拝した平安神宮や上賀茂神社でのツーショット写真が会場のスクリーンに。 「クランクインのときにもお邪魔した場所なので、初日の気持ちがよみがえってきました。『大河ドラマとは、どういうものなのだろう……』なんて思いながら、よくわからずに平安神宮を歩いていたんですよ」と、吉高さんが思い出を語れば、柄本さんも「僕も、何がなんだかわからないまま歩いていました」などと応じるなど、息の合ったところを見せてくれました。 また、柄本さんは京都で初日を迎えたことに特別な想いを抱いていたとか。「16、17くらいのときから、京都の撮影所でお世話になっていて、長いときは4ヵ月くらい京都にいることもあったんです。それ以来、撮影で何度も来させていただいています。そんな場所で、こんなに大きな作品の初日を迎えられて、うれしかったですね」
◆縁結び社で「私たち結ばれないのに、大丈夫?」 上賀茂神社では、紫式部も参拝したと伝わる縁結びの神様「片山御子神社」(通称・片岡社、上賀茂神社の第1摂社)に足を運んだ二人。紫式部はこの神社を題材に、「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしずくに たちやぬれまし」という恋の歌を詠んだといわれています。 恋の成就を願って、片岡社には、この歌が書かれた「縁結び絵馬」がたくさん奉納されています。そこに吉高さんと柄本さんの写真が飾られていることに感謝しつつ、「縁結びの神社でしょう? 私たち(まひろと道長)は結ばれないのに大丈夫かなあ……」と、吉高さん。ユーモアを交えたチャーミングなコメントで、こうして場を和ませ、終始イベントを盛り立ててくれました。 また、大石さんのお母様は京都出身で、平安神宮の近くで生まれ育ったという、意外なつながりも。今回は京都を舞台とした作品ということで、とても緊張したそうです。 脚本を執筆するうえで、いちばん難しかったのは、『源氏物語』の誕生をどう描くか、ということだったとか。 「はっきりしたことはわからないから、学者の先生方は誰もそこを語っていないんです。でも、人間が動いて演じるドラマでは、自分たちの見解を出さなければならない。何度も何度も話し合いを重ねたので、脚本が1ヵ月くらい止まっちゃいましたね」 「当時は紙が高価だから、スポンサーなくして『源氏物語』の執筆はありえない。時代考証の倉本一宏先生もそうおっしゃっていたので、道長をスポンサーにすることは、早い段階から決まっていました。それで、越前の紙が好きだとか、ちょっとずつ前フリをして……。だって道長は、まひろの言ったことは全部覚えていますからね(笑)」 柄本さんも笑顔で同意。「そうそう!わざわざ『覚えておこう』なんてかっこつけてたけど、ほんとは全部覚えているんです」。
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