【歴史の謎】なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのか…理由は四国にあり?「本能寺の変」を解く4つの説
明智光秀:バレてましたか…。「とき」は「土岐」で源氏の末裔である土岐氏一族である私を表し、「あめが下しる」は「天下を治める」。つまり「土岐氏の一族である私こそが天下を治めるべき」とも読めるわけですね。匂わせすぎましたかな。兎にも角にも、こうして私は本能寺へと兵を進めたわけですハイ。 豊臣秀吉:中国地方に遠征へ向かうはずだった光秀殿。桂川付近に到着すると、鉄砲の火縄に火をつけるように命じました。これはいわゆる「戦闘準備」を意味するためこの時点で光秀殿は明確に信長様への謀反を決断していたと思われます。 明智光秀:やるしかない、っていう状態ですね。大河ドラマなど後世の創作物では、私が「敵は本能寺にあり」と宣言したというエピソードも有名ですが、これは残念ながら俗説。大きな決断だったことには間違いないのですが。 森蘭丸:小姓の蘭丸です。上記の流れで光秀の軍勢が信長様の滞在する本能寺に迫ったわけです。本能寺の外が騒がしくなった時も、最初はまさか謀反の軍勢とは思わず「下々のものが喧嘩でもしているか?」と思っていたのですよね。それほどのサプライズ謀反だったわけです。 【解説】森蘭丸 小姓とは、武将の雑用をこなす少年のこと。信長の家臣である森可成(もり・よしなり)の子であり、小牧・長久手の戦いで討ち死にした森長可(もり・ながよし)の弟。当時、18歳だった。 織田信長:そうよな…。ようやく謀反ということを認識したあと、蘭丸を物見に行かせたのだが、光秀の旗印が本能寺を囲んでいた事を知り、それに対して「是非に及ばず(やむを得ないことだ)」とワシは言ったとされておるのだな。なんとなく予感めいたものがあったのかもしれんな。 森蘭丸:本能寺を取り囲んだ明智勢に対して、信長様ご自身や小姓衆などが応戦しましたが多勢に無勢。次々と討ち死に、信長様も弓や槍を手に応戦されていましたが、手傷を負い本能寺の奥に退かれました。 織田信長:本能寺にはすでに火もかけられており、ワシはついに覚悟を決めたわけじゃ。本能寺に滞在していた女たち等を逃がすように伝え、殿中の奥深くに籠もり切腹したのだな。天下統一を前になんとも無念じゃ…。