「入学した頃は5、6番手の選手」藤枝東の恩師が語る長谷部誠の“逆ギレ”思春期「うるせぇ!」血気盛んでチームメイトと取っ組み合いも
日本代表を牽引したリーダーはどのように高校時代を過ごしたのか。長谷部誠の当時を知る恩師やチームメイトたちを訪ね歩いて見えてきたのは、ファンタジスタとファッションを愛するサッカー小僧の姿だった。 【初出:発売中のNumber1098号[2001年の藤枝東高]「ルイ・コスタと青学に憧れた頃」より】 【秘蔵写真】「藤枝東ユニの長谷部17歳…カワイイ」「えっ…こんなヤンチャそうだったの!?」19歳の“茶髪ロン毛時代”→引退試合で愛する子供たちと感動ハグするまで…長谷部誠の軌跡を写真で見る
長谷部が機転を見せた”イタリア事件“。
全国高校選手権で4度の優勝を誇る名門、藤枝東高サッカー部には“イタリア事件”として伝わる逸話がある。 2000年3月に実施されたイタリア遠征。治安の問題などから選手に通達された夜間外出禁止のルールを破り、1年生の5~6人がお土産にする本場のパスタを購入しようと街に繰り出した。 その中に長谷部誠がいた。今でこそ人格者として知られるが、心が整うのはまだ先の話。買い物を終えてホテルに帰ると、運悪く玄関先で監督の服部康雄と鉢合わせた。きつく叱られて「買ったものを全部出しなさい」とパスタを没収されたが、長谷部だけはなぜか手ぶらだった。外出した仲間たちも訝しむ中、「僕は何も買っていません」と主張した。 カラクリはこうだ。監督の存在に気付いた瞬間、長谷部は戦利品を近くの生け垣に咄嗟に投げ込んだ。ハラスメントに対する意識が希薄な時代。監督たちから怒られただけでなく、上級生からは連帯責任として1年生全員が正座を命じられた。お説教が終わった後、長谷部は悠々とパスタを回収。抜群の“危機察知能力”で日本にお土産を持ち帰った。 「そんなこともあったねえ」 当時と変わらずサングラスをかけてピッチに熱視線を送る服部は懐かしそうに言った。現在は東海サッカー協会会長などの肩書きを持ち、藤枝東高サッカー部のアドバイザー的な立場で足繁くグラウンドに通う。 校門を抜け、スクールカラーの藤色に彩られた校舎に沿って進むと、サッカー部のグラウンドが見えてくる。長谷部の卒業後に土から人工芝に変わったものの、1957年の静岡国体で昭和天皇が臨席したロイヤルボックスは当時のまま残っている。 「高校時代の長谷部はキャプテンというタイプじゃなかった。下手じゃなかったけど、これだというアピールポイントもなかった。入学した頃は15人ぐらいの同級生の中で5、6番手の選手。上級生になれば試合に出られるかなと見ていました」(服部)
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