「入学した頃は5、6番手の選手」藤枝東の恩師が語る長谷部誠の“逆ギレ”思春期「うるせぇ!」血気盛んでチームメイトと取っ組み合いも
飛躍を後押ししたトップ下への抜擢
校舎内の複数の階段を使う雨の日のダッシュでは、監督に見える場所でだけ本気を出した。学校周りを走る長距離走では、スタートで飛び出して中盤以降は歩くのが恒例。コーチ陣や他の部員に見つからないようにショートカットしているとの噂も立った。コーチ陣からはファストフードや炭酸飲料は極力、口にしないよう求められていたが、長谷部は「微炭酸は炭酸じゃない」と独自理論を展開。いつもビタミン炭酸MATCHを飲んでいたことは語り草だ。 イタリア事件に通じる要領の良さを随所で発揮していた高校時代の長谷部だが、2年時の夏から徐々に試合に出始め、冬に初めて県選抜入りを果たす。そこでハンガリー遠征などを経験して自信をつけていった。 ブレークしたのは3年時の高校総体の県大会。1学年下で不動のトップ下だった成岡翔がU-17日本代表の活動で大会直前までチームに合流できなかったため、成岡を2トップの一角に上げ、右MFを務めていた長谷部が司令塔に入った。 この抜擢が飛躍を後押しする。
(「NumberPREMIER Ex」木本新也 = 文)
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