「ユリ・ゲラー」テレビ初出演から50年…矢追純一氏が語った「特番の舞台裏」と「超能力ブーム」
矢追ちゃん、こいつは本物だよ
矢追純一がユリ・ゲラーの存在を知ったのは番組の約1年前だった。超常現象の研究所を自費で設立したアメリカ人の元宇宙飛行士、エドガー・ミッチェル博士を訪ねたとき、強いパワーを持つイスラエル人の超能力者(ユリ・ゲラー)を紹介されたのである。 もっともユリはその時所在不明で、矢追が直接本人にあったのは、それから数週間後のニューヨーク。ユリ・ゲラーの秘書をしている日系2世の女性に偶然出会い、ユリの住む一番街の高級マンションを訪れたのだ。そこでユリは、矢追が現地で買ったばかりの金属性のパイプの道具を、目の前で擦って折ってしまった。 「超常現象を信じないカメラマンが、その一部始終を撮影していて、『矢追ちゃん、こいつは本物だよ』と言ったんです。これをテレビでやれば、科学者たちが見て人間の未知の能力を研究するのではないかと考えた。そこで彼を日本に呼ぶことにしたんです」 そもそも矢追はなぜUFOや超能力に興味を持つようになったのか。 彼が日本テレビに入社したのは昭和35年。それまでテレビとは街頭で見るもので、力道山の会社だと思っていたという。訪れた日テレは「2階建てのプレハブくらいの社屋」で、入社直後からドラマの演出をやらされた。 「演出の何たるかも知らないでやらされていた。ドラマが嫌いだったから視聴率も取れない。ドラマ演出をクビになって、バラエティの演出をやっていた頃、日本初の深夜番組『11PM』が始まった。どの部署でも仕事ができない鼻つまみ者が集まって、個性的な番組を作り始めた。プロデューサーは『おまえたち、好きなことを勝手にやれ。ケツはオレが拭く』と言う人で、だからこそ活気のある面白い番組ができたんです」 好きなことをやれ、と言われて矢追が考えたのは、「みんなに空を見せてやろう」ということだった。時代は昭和40年代後半、高度成長期の終わり頃。道行く人々は、目的地しか見ないで、ゾンビのように歩いている。彼らを立ち止まらせ、空を見てもらいたかった。「精神的に余裕を持たないと日本は今にダメになる」、と思ったのだ。 もっとも「空を見せる」といっても、考え付くのは星座くらい。どうしようかと悩み本屋に入って目に入ったのが空飛ぶ円盤の本だった。「立ち読みしたら、どうやら地球には宇宙人が来ているらしい。よしこれでいこうと」、発想は単純だった。 「11PM」でのUFO番組が好評を博し、やがて売れっ子のディレクターになる。そんな頃、取材先のアメリカでユリ・ゲラーと出会ったのである。