「ユリ・ゲラー」テレビ初出演から50年…矢追純一氏が語った「特番の舞台裏」と「超能力ブーム」
次々と名乗りを上げた“スプーン少年”
生放送のスタジオ内には、数十人の女性の電話オペレーターが待機しており、三木鮎郎は「もし時計が本当に動き始めたり、フォークやナイフが曲がり始めたら、どうか日本テレビにお電話をいただきたい」と、視聴者に呼びかけた。日本全国で起こるであろう超常現象を、視聴者からの報告で証明しようという試みだった。 全国のお茶の間で、いったいどのくらいの人々がこの“実験”に参加したことだろう。当時小学生だった筆者もテレビの前にフォークを持ちだし、固唾を飲んで画面を見守った記憶がある。 この番組をいま改めて見なおすと、挑発的なタイトルとは裏腹に、意外にもシンプルで実証的な番組だったことがわかる。劇的な音楽や効果音はほとんどなく、テロップは最小限。ユリ・ゲラーのフォーク曲げなどが行われた収録の場面などは、ただ延々と彼の手元を映し出すだけ。スタジオに鳴り響く電話のベルの音とそれに応えるオペレーターの声が、唯一の効果音ともいえる。そのシンプルさが逆に、番組の緊迫感を盛り上げていた。 番組のインパクトはすさまじかった。放映後、全国から「僕もフォークやスプーンを曲げられた」と言う“スプーン少年”が次々と名乗りを上げた。週刊誌やワイドショーでは、曲がったフォークや動き出した時計が追跡検証され、連日のようにユリ・ゲラーは本物かインチキかという論争がくりひろげられた。いわゆる超能力ブームが巻き起こったのだ。 あの当時、なぜ日本国民はかくもユリ・ゲラーと彼の超能力に熱狂したのだろうか。
舞台だけを用意したつもり
同番組のディレクターだった矢追純一。その後、木曜スペシャルの“UFOディレクター”として数々のUFO番組を世に送り出した後、日テレを退社、現在は独自の視点から人間の在り方を説く「宇宙塾」(http://spacian.net 編集部註:2024年現在は「矢追純一オフィシャルサイト」)を主宰するなどの活動を行っている。 矢追は、ユリ・ゲラーの番組制作にあたって何を意図し何を考えていたのか。今回あらためて話を訊くと、まずこんな答えがかえってきた。 「自分としては舞台だけを用意したつもりでした。台本も何もなく、基本的にユリ・ゲラーの好きなようにやらせました。今のテレビ局のディレクターやプロデューサーは思考が論理的なので、先に企画を立てて、内容や構成をある程度考えた上で番組をつくるじゃないですか。実はそれが一番つまらない方法なんです。ユリ・ゲラーという人間は、ある空間の中に放り込んでほうっておくのが一番面白い。いわばエンタテイメント・ドキュメンタリー。僕はドキュメンタリーのつもりで、あの番組をつくったんです」 2月24日の収録スタジオには、160名の観衆がユリ・ゲラーを囲むように客席に座っていた。会場レポーターは児島美ゆき。ゲストには栗田ひろみと沢チエ。知識人と科学者の代表として、参議院議員の今東光、元ハワイ大学教授(情報科学)の関英男、防衛大学教授(超心理学)の大谷宗司がよばれていた。 その日のユリ・ゲラーは、赤いシャツに黒のレザージャケットという服装。軽くウェーブがかかった黒く豊かな髪の毛が印象的な、穏やかな青年といった風情だった。