日本最古のピアノ曲の1つにして、滝 廉太郎の最後の作品『憾』
クラシックソムリエが語る「名曲物語365」
難しいイメージのあるクラシック音楽も、作品に秘められた思いやエピソードを知ればぐっと身近な存在に。人生を豊かに彩る音楽の世界を、クラシックソムリエの田中 泰さんが案内します。
滝 廉太郎 ピアノ曲『憾(うらみ)』 夭逝の無念を書き残した音楽とは
今日6月29日は、西洋音楽黎明期の日本における重要な作曲家、滝 廉太郎(1879~1903)の命日です。 歌曲『荒城の月』や『花』が有名な滝 廉太郎ですが、ピアノをラファエル・フォン・ケーベルに師事し、本格的にドイツ音楽を学ぶことを目指していたと伝えられます。 そして迎えた1901年。日本人音楽家としては史上3人目となるヨーロッパ留学生となって、5月18日にドイツ・ベルリンに到着。その後ライプツィヒへ向かい、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院へ入学します。しかし運命とはなんと残酷なことでしょう。入学から僅か5か月後に肺結核を発病し、入院治療を行うも回復の目処が立たず帰国。そして1903年6月29日に、療養先の大分県でこの世を去ったのです。 その滝 廉太郎が、死の4か月前に手がけたピアノ曲『憾』は、日本最古のピアノ曲の1つにして、廉太郎最後の作品です。表題の「憾」とは憎しみの気持ちではなく、「遺憾」の想い。つまり心残りや未練、無念といった気持ちのことで、自身の若すぎる死を控えた憾の表れだとされています。
田中 泰/Yasushi Tanaka
一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事。ラジオや飛行機の機内チャンネルのほか、さまざまなメディアでの執筆や講演を通してクラシック音楽の魅力を発信している。
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