なぜ「人材派遣の会社」パソナが、「淡路島」で事業を始めたのか…? 背後で起きている「社会の大きな変化」
人口減少社会における地域開発の形
このように、パソナが淡路島で果たしている役割は、伝統的にこの企業に対し向けられてきた「人材派遣企業」という枠組みを一部逸脱している。それは、パソナが本社機能を移転すると発表した際の兵庫県議会の県知事演説において、人口流入と地域経済の発達が期待されていたことにも象徴されているだろう(兵庫県議会 2021)。 それは純粋に、ある大企業の地方への事業進出を意味するものとして捉えられていた。かつて期待されていた工場誘致は、今や美しいオフィスと観光施設誘致へと変化した。ここで興味深いのは、その役目をしばしば「中間搾取」の代名詞のように評されてきたパソナが実行しているということなのである(もっとも、このこと自体は、淡路島において彼らが中間流通の役割を放棄していることを意味しない)。 人材のマッチングから、より直接的に「雇用をつくる」事業へ――この変化は、このパソナの「冒険」が、新たな事業領域を創出したいという創業者の夢だけではなく、私たちの社会の変化、あるいは社会課題の変化によっても支えられていることを示唆している。ではその変化とは何か。 まず、極めて外形的なレベルで言えば、それは日本が「人口減少社会」になっているという点に求められる。そもそも、過去に開発が様々な「地方」で求められたのは(第一義的には税収の増加だが)、「地方」の各自治体が「人口の定着」をめざしたからであった。すなわち、その「地方」で創出された人口が、大都市へ流出することなしに住み続けること。そのために、確固たる雇用基盤が創出されること。それこそが目的とされていたのである。 しかし、そもそも人口がもはや「地方」から多く生み出されえないとしたらどうなるか。人口をめぐるモードが剰余から欠乏へと移行した現代社会において、内発的な人口増加という夢はほぼ放棄されている。 特に、いわゆる「増田レポート」により「自治体消滅」がささやかれ、人口に関する「総合戦略」を立案することを各自治体が求められるようになった2010年代後半以降、現実的な施策として掲げられてきたのが「移住」と「関係人口」(地域と多様に関わる人々)の創出であった。人口はもはや外から持ってくるものとなった。 この大きなトレンドを後押しするのは、2000年代以降の自治体経営の変化である。かつて社会学者の中澤秀雄は、日本における開発行政のモードが、国内の均衡的発展を目指す「空間ケインズ主義」から、選択と集中が是とされる「新自由主義」へ移行していったと論じ、その分水嶺は2000年代にあると論じた(中澤秀雄2019)。 この区分は、ある時期に一方から他方へ明確な切り替わりが起きる「絶対的なもの」というよりも、時代情勢の推移をわかりやすく整理した「便宜的なもの」であるが、人口減少という問題に対する解決策が、地方自治体内にて積極的に求められたのは、このようなモードの変化によるところも多い。つまり、人口減少への対応策が、競争的な補助金や交付金と直結していると捉えられる時、地方自治体はたとえ弥縫的であっても、それに取り組まざるを得ない。 つまり、今や地方自治体は(人口を流出させない)産業だけでなく、人材すらも誘致しなくてはならない。しかし、地方自治体は、外部から能動的に人を呼び込むことを苦手としている。地方創生においてしばしば問題化される、東京などからの外部コンサル・広告代理店による「搾取」はこの問題を背景に生じているわけだが(山下・金井 2015: 113-4)、パソナという企業が価値を帯びたのはこの部分にある。 つまり、人々を呼び寄せるだけでなく、人々が働き、関係人口が集う場所を形作ること。単なる絵空事に終わらない、地方創生の統一的なパッケージを提供する能力こそが、パソナの「強み」なのである。これは逆に言えば、人口減少時代において、人材派遣企業が果たしうる「社会課題」の「解決」にあたっては、単なるマッチングだけでない、事業機会の創出をも必要とする、ということである。 その意味において、パソナの淡路島への進出は、現代社会における「地域社会」や「開発行政」の転換と、その行き着く先を示している。社会課題を解決しつつ新規事業領域を開拓することを夢見るパソナの淡路島における取り組みは、兵庫県や淡路市といった自治体の期待を背負う形で生じている。「パソナ島」という揶揄には、パソナが勝手な気ままに開発を進めているというイメージがともなうが、自治体の期待を負っているという意味において、当該地においてパソナは自由気ままに振る舞えているわけではない。 他方、このような流れの中で、「パソナ島」という揶揄が生じるほど大規模な開発が、人材派遣企業という、従来地域開発に関わることがなかったアクターによって行われているということそれ自体が注目に値する。つまり、豊富な余剰人材が存在しない日本にて、人材派遣企業が成長し続けるためには、もはや人材のマッチングのみする存在として、自らを位置づけることができなくなっていることを示すものとして、本事例は捉えられるのである。 本稿は、紙幅の都合上、いくつかの論点を捨象している。たとえば、伝統的な戦後開発行政における兵庫県と神戸市の対抗意識。淡路島という土地そのものの地理的、あるいは旧兵庫2区から現兵庫9区にまで通底する、保守政治家の票田としての政治的特性。南部靖之の空間開発に対する愛着。パソナが現在描いているだろう、地方創生事業の横展開の方策。そして大阪・関西万博へのパビリオン出展に象徴される、維新政治とパソナとの関係。こうしたことに思い当たられる方からすれば、分析が生ぬるいと思われてもおかしくはない。 だが、重要なのはこれらの問題について分析を追加するとしても、これまで述べてきたような議論が、大きな見取り図としては必要不可欠だ、ということだ。2020年代の日本とは、地方創生のために産業だけでなく人口が外部から求められる社会であり、その中で人材派遣企業が開発主体として重要な地位を占めうる社会なのである。 *** 【注】 本記事は原則として描き下ろしであるが、一部内容については以下の文献に記載された内容を下敷きとしている。 林凌, 2022,「新自由主義地域--パソナ・淡路島・地域開発」『アレ』11, pp.100-131. 林凌, 2024,「新自由主義的『官民連携』の条件――兵庫県淡路島における地域開発の系譜から」『社会学評論』74(4), pp.751-767. 【参考文献】 兵庫県議会,2021,「令和3年2月第353回定例会(第5日 2月26日)」(2022年4月14日,兵庫県議会会議録検索システム,http://www.kensakusystem.jp/hyogopref/cgi-bin3/ResultFrame.exe?Code=rpo2cq1zucjm5gwgk4&fileName=R030226A&startPos=-1). 栗山良八郎,1986,『とぉない男(ルビ:やつ)―人材派遣会社』文藝春秋. 森功,2015,『日本を壊す政商―パソナ南部靖之の政・官・芸能人脈』文藝春秋. 中澤秀雄, 2019, 「地方と中央――『均衡ある発展』という建前の崩壊」小熊英二編著『平成史【完全版】』河出書房新社, 243-309. 南部靖之, 2020,「何が淡路島への移転を決断させたのか?」Nativ.mediaホームページ,(2023年11月14日取得, https://nativ.media/22552/) パソナグループ, 2024,「2024年5月期決算説明会」パソナグループホームページ,(2024年12月2日取得, https://www.pasonagroup.co.jp/Portals/0/resources/ir/data/presentation/2405_presen.pdf) 山下裕介・金井利之, 2015,『地方創生の正体――なぜ地域政策は失敗するのか』筑摩書房.
林 凌(武蔵大学社会学部専任講師)