あの川藤幸三も驚いた阪神OB会長への“就任劇”「ブッちゃん、オレ、何も聞いてないで」「オレ、補欠やで」
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 阪神タイガースのOB会長が14年ぶりに交代した。11月30日、大阪市内のホテルで行われた阪神OB会の総会で、7代目・川藤幸三氏(75)が会長を退任。8代目会長に《3代目ミスター・タイガース》掛布雅之氏(69)が就任した。川藤氏は「来年は球団創立90周年。カケには100年まで会長をやってほしい」とエールを送った。 ◆リーグ優勝を決め胴上げされる川藤幸三【写真】 川藤氏が「OB会長」に就任したのは2010年。楽天のヘッドコーチを務めるため、6代目会長を1年で退任した田淵幸一氏の後任としてだ。でも、なぜ、川藤氏だったのだろう。本人に聞くと「そんなもん知るかいな! 青天の霹靂どころやあらへんで」という。いま明かされる誕生秘話。そして誰もが驚いた「偉業」とは―。年末までの3回『会長!カワさん奮闘記』をお届けしよう。 川藤さんとは古い付き合いである。筆者が入社した1979(昭和54)年からだから、もう45年になる。いつのころからか「カワさん」と呼ぶようになった。だから以後、カワさんと書くことにする。 物語は2009年11月のOB総会から始まる。前年、5代目・安藤統男会長と一緒に「OB会役員」を退任したカワさんは、ノーネクタイの気楽な格好で開始時間ギリギリに会場のホテルにやって来た。すると、ロビーで血相を変えた田淵さんが待ち受けていた。 「カワ、いままで何処にいたんだよ! 連絡してたんだぞ」 「なんで?」 「なんでじゃねぇよ。お前に決まったんだよ」 「何が?」 「会長、次期OB会長。さっき、役員会で満場一致でお前に決まったの」 「ブッちゃん、ちょっと待ってぇな」。カワさんの顔から血の気が引いた。 ここで少し田淵さんとカワさんの関係を解説しておこう。年齢は田淵さんの方が3歳上。だが、入団はカワさんが1967年のドラフト9位、田淵さんが68年のドラフト1位―とカワさんが1年早い。タイガースでは年齢よりも入団年が優先され、カワさんが「先輩」になる。だが、さすがに「たぶち」と呼び捨てにはできない。そこで「ブッちゃん」と呼んでいるのだ。 「ブッちゃん、オレ、何も聞いてないで」 「聞いていたらお前、受けるか?」 「いや、受けへんよ。そらそうやん。これまで会長やった人見てみ、監督経験者かスターやん。オレ、補欠やで」 確かにカワさんのいう通りである。1972(昭和47)年に発足した「阪神タイガースOB会」の初代会長は松木謙治郎氏で、2代目は初代ミスター・タイガースの藤村富美男氏。以後、3代目・梶岡忠義氏、4代目・田宮謙次郎氏、5代目・安藤統男氏、6代目・田淵幸一氏とそうそうたる顔ぶれ。何でオレやの?と言いたくなる気持ちもよく分かる。 実は次期会長にカワさんを強く推薦したのは田淵さんだった。当時のことをこう振り返った。 「他にも何人か候補はいたよ。でも、必ず反対する者が出る。その点で川藤は誰にも好かれていたし、ボクが役員会で推薦したらすぐに満場一致で決まった。あいつは人望があるんだ」 ―でも、なぜ、カワさんなんです? 「確かに成績だけみたら補欠かもしれないけれど、川藤はタイガースの顔だし、愛している。給料もいらないからもう1年、タイガースで野球をやらせてほしい―なんて他の誰も言えないだろう。それに川藤は先輩たちから一番愛された男なんだよ」 それは筆者も知っている。1985(昭和60)年、吉田阪神が21年ぶりのリーグ優勝へひた走っているときだ。ある日、甲子園球場でカワさんは藤村富美男氏から「カワ、ちょっと来い」と呼び止められた。「なんですか」といぶかしげな表情で答えると―。 「おまえはもうヒットなんか打たんでええ」という。「なんや、爺さん妙なこと言うな」とカワさんは思った。藤村氏は続けた。 「お前はでーんとベンチのど真ん中で偉そうな顔をして座っとけ。お前の仕事はタイガースの《歴史》を後輩たちに伝えることや。ヒット打つよりもっと大事なことをみんなに教えるんや。分かったな」 藤村氏のいう《歴史》とは「伝統」であり「しきたり」「心構え」のようなものなのだろう。カワさんは初代ミスター・タイガースから認められた男なのである。だから田淵さんもカワさんを推した。 「ブッちゃん、とにかくちょっと考えさせてぇな」 「下手な考え休むに似たり―だ」 ―ほんで、どのくらい考えたんですか? 「10分もあるかい。けどな、オレもタイガースに育ててもろた男やからな。恩返しはせにゃならん―と心を決めたんや」 こうして第7代OB会長、川藤幸三が誕生したのである。 川藤会長は考えた。 「当時はプロ野球人気が下火になって、阪神―巨人戦でも甲子園球場が満員にならん時代やった。よっしゃ!それやったら、阪神巨人のOB戦で甲子園球場をいっぱいにしたろやないか―と思ったんよ」 ようそんな無茶なことを…。カワさんの宣言にOB会の誰もが「そんなん無理や」と声を揃えた。だが、川藤会長は声を上げた。 「なんでやる前から無理やと決めつけるん。どうやったら実現できるか考えようや。簡単にでけへんのは百も承知や!」 阪神―巨人のOB戦で甲子園球場を満杯にする―。川藤会長の《挑戦》が始まったのである。 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
中日スポーツ