憲法改正議論「地方自治」の論点 少ない規定、二元代表制のあり方や徴税権
衆院選では各党が憲法改正の是非をめぐるスタンスを公約などに掲げて訴えてきました。憲法改正の議論自体は、自民党のほか、希望の党や日本維新の会、日本のこころなども前向きで、選挙後に憲法改正論議が本格化していくとみられます。 今回の選挙戦での党首討論などでは、自民党総裁である安倍首相が提案した「憲法9条への自衛隊明記」をめぐる議論が多かった印象ですが、憲法改正には9条以外にもさまざまな論点が考えられます。ここではそうした9条以外の論点を紹介することで、憲法改正論議を俯瞰的にみていきたいと思います。 今回は「地方自治」をテーマに、神戸大学大学院法学研究科の砂原庸介教授に寄稿してもらいました。
生み出された「地方自治の本旨」という概念
現在の日本国憲法で、地方自治について記述されている箇所は第8章の92条から95条までの4条に過ぎません。同じ統治機構について記述している国会・内閣・司法、それに財政の部分に比べても、その分量は少なめと言うことができるでしょう。そして、このような条文の少なさは、地方自治について憲法ではなく法律で規定することができる余地が大きいということを示唆しています。 憲法上の地方自治を考えるに当たって特筆すべきは、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定されている92条の「地方自治の本旨」という言葉です(憲法や地方自治法では、「地方公共団体」という表現が使われますが、以下では法律の条文を引用するときを除いてより馴染みのある「地方自治体」という表現を使います)。この言葉が示すところについては様々な議論がありますが、通説としては、「住民自治」つまり地域住民が主体的に地方自治体をコントロールすることと、「団体自治」つまり地方自治体が国(中央政府)から独立して意思決定できること、という二つの自治を満たすことが「地方自治の本旨」であるとされています。 しかしながら「住民自治」「団体自治」という概念は、憲法の解釈から生み出されてきた学問上のものであり、憲法に書かれていないので、国が作る法律が「地方自治の本旨」に従っているかどうかを判断する根拠として使うことは困難です。例えば、地方自治体や研究者が国会の制定した法律に対して「住民自治」(あるいは「団体自治」)を損ねる法律だ、と強く批判しても、国会で決められたものがすぐに覆ることは考えにくいでしょう。現在のところ、おそらく極めて長い時間がかかる裁判所の決定を除けば、国の法律が「地方自治の本旨」に合っていないとしてその撤回が求められるようなしくみはありません。そのような仕組みは――やろうと思えば法律でもできるかもしれませんが――憲法改正の一つの論点になるかもしれません。 このように、国から見ると地方自治の自由度は高いので、しばしば話題になる「道州制」のような大きな改革も、憲法を変えずに法律の変更のみで実現することも不可能とは言えません。そもそも憲法には「都道府県」とか「市町村」のような具体的な地方自治体についての規定はありませんから、新しい地方自治体として「道州」を法律に基づいて作ることも(やろうと思えば)できるでしょう。いずれにしても、もし「道州制」をめぐって憲法改正が議論されるとすれば、「道州」を新たに導入するかというような点だけではなく、これまで規定されてこなかった「都道府県」や「市町村」を改めて憲法の中で定義することも含めた議論もなされるべきでしょう。 このような国の自由度が高い法制を変えるには、「地方自治の本旨」を具体的に憲法に書きこんで、国と地方自治体の関係を変えることが考えられます。例えば、他の国ではしばしばそのような憲法が制定されていますが、国の役割・地方の役割を憲法に明記して、地方自治体の憲法上の責任を明らかすることができます。国の役割として代表的なものは外交・防衛をはじめ経済政策や社会保障制度の構築などがあり、地方自治体には都市計画を中心に地域の公共財を提供する役割が与えられることが多いと言えます。地方自治体にできることはなるべく任せる「補完性の原理」に基づいて、その役割を考えるような発想もあるでしょう。 憲法で役割が定義されることになると、地方自治体は自ら実施する仕事について、第一義的な責任を持ち、いわばその責任を梃子として国での法律の制定に関与させることも必要になるかもしれません。現在の日本では、地方自治体が実施する仕事は、必ずしも地方自治体のみの仕事というわけではなく、国と地方が「融合」するかたちで――しばしば国が企画・地方が実施というかたちで――行われていますが、国の仕事と地方の仕事を明確に分けて、それぞれに責任を負わせることになるとすれば、両者が「分離」して仕事を行う傾向が強くなると予想されます。