高さ7メートルの大灯籠、泣きながら担いだ 被災した能登の夏祭り、担ぎ手不足の心配→「手伝いたい」各地から次々
撮影:遠藤弘太
燃えさかるたいまつの周りに、高さ約7メートルの灯籠が次々と集まる。伝統の「キリコ」。大粒の火の粉が舞う中、担ぎ手らが勢いよくキリコを動かすと、港町は熱気に包まれた。 1月1日の地震から半年が経過した石川県の能登半島で、巨大な灯籠が乱舞するキリコ祭りが行われた。奥能登の各地で毎年夏に開かれる風物詩だが、今年は開催を中止する地区も相次いだ。 「生活もままならない状況で実施するのか」「祭りは心のよりどころ」。葛藤を抱え、住民たちの気持ちは揺れ動く。心をつないできた「地域の宝」はいま。被災しながらも、伝統を受け継ごうと模索する住民らの姿を追った。(共同通信=泊宗之)
深まる絆
7月初旬、能登町宇出津地区で、キリコ祭りの先陣を切る「あばれ祭」が開催された。 担ぎ手は、地震以前から年々減っていた。過疎化のためだ。そこで都会に出た若者や知人を呼び寄せて祭りをつないできた。ただ今年は地震のために町外からの受け入れは困難に。住民の生活再建も進まない中で自粛ムードが広がった。 「こんな時こそ『あばれ』で元気出すぞ」 地元の人々にとって、祭りは地区の誇り。開催を目指すことで気持ちが前を向ける。若手まとめ役の一人、時長銀次郎さん(39)らの思いに後押しされ、祭礼委員会は復興を掲げて開催を決定。ただ、担ぎ手が実際に集まるかどうかは見通せないまま、祭り当日を迎えた。 「自分も手伝いたい」 各地から多くの仲間が集い、9割のキリコを巡行させることができた。壊れた家々が目立つ町内を、互いの近況を伝え合い、肩を並べて担ぐ。中には涙を流す人も。みんな特別な思いだった。「絆がさらに深まった」。時長さんは喜びをかみしめた。
ゼロから出発
地震と津波で壊滅的な被害を受けた珠洲市宝立町は「宝立七夕キリコまつり」の中止を決めた。町内には倒れたままの木造住宅もあり、黒い瓦や漆の食器、漁具が散乱している。つい半年前まであった日常生活は消え、がれきが広がっていた。 宝立町鵜飼地区の梶豊さん(79)は毎夏、浜辺に向かって練り歩くキリコを2階から眺めていた。しかし、自宅の1階部分は押しつぶされ、同じ場所にはもう立てない。 避難の途中、膝上まで津波に襲われたが、一命を取り留めた。6月には震度5強の地震を観測。絶えず不安に脅かされる生活に「明るい展望は見えない」と嘆く。 人が集まらず、灯籠もない状態で「どう後世につなげていけばいいのか」。地区会長を務める越後英明さん(63)は頭を抱えた。被災前に約30世帯あった同地区本町はわずか4世帯に。倉庫にあった灯籠4基は津波で流失。「ゼロからのスタート。時間がかかっても、ここで祭りがしたい」 県の5月末時点の調査によると、奥能登6市町に約230あるキリコ祭りで、灯籠を巡行・展示するのは11にとどまる。中止か神事のみは22、7割超は未定だ。 ※2024年7月13日時点の取材を基にしたものです
共同通信社