「空襲警報は、もはや生活の一部」恐怖心さえ薄れた…ザポロジエと大阪、引き裂かれたウクライナの家族
ビデオ電話越しに、2歳になった次女の声が聞こえてくる。 「パパ」 ウクライナ南部、ザポロジエに住むビクトル・ウェルモシュコさん(41)。ロシア軍の侵攻後、妻アリーナさん(37)と2人の娘は、アリーナさんの姉を頼って日本で避難生活を送る。命の危険こそないものの、言葉が通じない異国での生活は楽ではない。 侵攻は長期化し、帰還の日を見通せないまま。ウクライナと日本。引き裂かれた家族の双方を尋ね、2年分の思いを聞いた。 (共同通信=深井洋平) アリーナさんが次女ズラータちゃんを出産したのは2022年4月。ロシア軍の侵攻直後だった。爆発音が鳴り響く中、暗い病院の地下室で無事を祈り続けた。「子どもの命を守る。ただそれだけだった」。戦況が激化の一途をたどる中、夫婦で日本行きを決断。大阪の市営住宅に移り住んだ。 異国での生活は何もかもが戸惑いの連続だった。目にする景色は一変。行き交う人の多さに圧倒された。「今はどんなにつらくても、前に進まないといけない」。アリーナさんは、自分に言い聞かせるように語る。 思春期を迎えた長女ヤーナさん(12)にとって、言葉の壁は想像以上だった。「ここではどこにも行けない。友達はここにはいないから」。薄暗い部屋の片隅でスマートフォン片手にゲームに興じていた。 今春、編入した大阪の小学校を卒業したが、中学には進学しない。ウクライナの学校のオンライン授業に集中すると決めた。現地の学校は閉鎖され、友人の多くは故郷を離れた。親友とはビデオ通話で連絡を取り合い、思い出話に花が咲く。望郷の念は募るばかりだ。 「戦争によって、私は遠い異国で立ち往生している。ただそれだけ」。目の奥に、静かな怒りがのぞく。 ウクライナでは、総動員令により18~60歳の男性が原則出国できない。ビクトルさんは妻子を日本に送った後、独り暮らし。自宅を訪ねると、思い出が詰まった部屋は静まりかえっていた。ヤーナさんが使っていたバッグ、ズラータちゃんが使うはずだった新生児用のベッドがそのまま残されている。 自宅は前線から近く、攻撃で破壊された建物が周囲に点在する。昼夜鳴り響く空襲警報は生活の一部となり、今では恐怖心さえ鈍くなってきたという。 生後間もなく離別したズラータちゃんも、既に2歳。妻子が日本で葛藤を抱えていることはビデオ電話から伝わってくるが、ウクライナにいる自分は寄り添えない。心の空洞も埋まることはない。 「どんなに時を経ても、私たちはまた一緒に暮らします」。家族写真を見つめ、言葉を絞り出すように語った。
共同通信社