実家の「ゴミ屋敷化」はすでに始まっている…年末年始に帰省しても"老いた親の異変"に気づけない本当の理由
離れた場所で暮らす年老いた親にどう向き合えばいいのか。社会学者の春日キスヨさんは「親と別居している子世代は親の生活を把握できず、入院やゴミ屋敷化して初めて親の異変に気づくケースが多い。『子供には迷惑をかけたくない』という親心が異変を見えづらくさせていることに注意してほしい」という――。(第1回) 【写真】「草ボウボウの庭」を見かけても、親の異変には気づかなかった ※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。 ■「家族であるからこそ」難しい 親と離れて暮らす子世代が、在宅で過ごす長寿期の親の暮らしの実態に触れる機会は少ない。そのため、実情に即して親の生活を等身大に理解し、必要な支援をしていくことは、なかなか難しい。 しかも、一般の人が持つ社会通念の根底に、性別役割意識、夫婦関係規範があるとき、子どもの側もそうした通念を分かち持つ。また、親の生活を子どもが実情に即して理解し、親子で話し合い、冷静に手立てを考えていくことは、「家族であるからこそ」難しい面がある。 なぜなら、家族以外の人が「他人ごと」としてそれを見る場合と異なり、夫婦間、親子間では、家族特有の規範、長年の習慣化した関係性が働き、事実を事実として見ることを難しくする部分があるからだ。 とりわけ、家事を担い、家族の関係性をつなぐ役割を担うことが多い女親の方が先に弱った場合、問題が外の人に知られることがないままに過ぎ、子どもが知るのは親の生活がどうにもならなくなったとき、ということになりかねない。 たとえば、地域包括支援センターの支援者は、「高齢の親の思いの一番は、子どもに迷惑をかけられない、面倒をかけてはいけないというもので、親の生活実態は子どもに伝わっていないと思います」と語っていた。こうした関係性は、この支援者が住む地域に限らず、広く見られるものである。
■実家の散らかり具合に驚く息子夫婦 親と子が同居し、否応なく共同生活を営むしかなかった時代であれば、日常のなかで、子どもたちが感知し、対応できた親の老い衰えが、離れて暮らす場合には、感知できないばかりか、親の「子どもに迷惑をかけられない」との思いから、親からは伝えられず、周囲から子に知らされることもない。 そして、どうにもならない状況になって初めて、子どもに連絡が行き、親も子も混乱の渦に巻き込まれる。そんな例が少なくないのである。 「家の中に入って、すごくびっくりした」 私が話を聞いた長寿期夫婦にも、そのような親子関係の方が少なからずあった。そのなかのいくつかを紹介しよう。 まず、87歳の男性OZさんと、87歳の妻のケース。OZさんは息子たちに、自分の病気(がん)のことを、入院が必要になる時点まで伝えておらず、また、妻が鍋などを焦がすようになっていたことも告げていなかったという。 OZさん「この正月は、長男夫婦が来たんですが、そのときも、家の中に入らないで玄関先でちょっとだけ話して帰っていきました。だから、私が入院ということになったとき、家の中に入って、すごくびっくりしたと言っていました。とり散らかっていたので。 とにかく、自分たち夫婦は、子どもたちに迷惑をかけてはならないと、一生懸命頑張って、二人でやっていこうと思ってきましたから。息子は管理職で忙しいし、嫁さんも働いているので。でも、近所の人が包括に連絡して、息子がやってきて、まあ、こういう形になりましたが」 「子どもたちに迷惑をかけてはならない」とのOZさんの親心が、子どもに実情を知らせ、助けを求める関係をつくることを阻(はば)む一因となっていることがわかる。 ■なぜ親の異常事態に気づけなかったのか しかし、親の自宅を訪れながら、子ども夫婦は、「近所の人が包括に連絡する」ほどの窮地を、なぜ感知できなかったのだろうか。何の異常も感じなかったのだろうか。考えれば不思議なことである。 しかし、OZさん親子と同じような家族は少なくない。 60代女性PKさんが姪の立場で関わることになった、叔母夫婦と息子たちの関係もそうだった。 PKさんが、叔母夫婦に深く関わり始めたのは、叔母が83歳、叔父が91歳のとき。叔母夫婦は、若い頃から続ける社会活動に、80歳を過ぎても参加し続け、料理上手の叔母の自慢は「食事づくりも家事もちゃんとしている」だったという。60代の息子2人は、県外に住んでいる。 PKさんは、叔母が77歳の頃、「もの忘れがあるのでは」と感じたことがあったそうだが、「叔父がしっかりしているので大丈夫だろう」、そう思っていたという。