悪夢の歴史…日本代表、背番号10の系譜(4)こんなはずでは…。最強司令塔の集大成はまさかの26分
日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号10を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回は18年ロシア大会までのワールドカップで10番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
南アフリカW杯
背番号10:中村俊輔(セルティック) 生年月日:1978年6月24日(31歳) 個人成績:1試合出場/0得点0アシスト 戦績:ベスト16 UEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で芸術的な直接FKを決めた俊輔はセルティックでは年間最優秀選手賞に輝き、チームをリーグ連覇に導いた。しかし、09年に移籍したエスパニョールでは適応に苦しみ、南アフリカ大会を間近に控えた2010年2月に7年半ぶりのJリーグ復帰を決断。古巣横浜F・マリノスに移籍した俊輔は2大会連続で本大会のメンバーに選出され、背番号10を背負うことが決まった。 予選から右サイドハーフで不動の存在だったが、日本代表は直前のテストマッチで低調なパフォーマンスが続いた。すると、岡田武史監督は大会直前にシステムの変更を決断。右サイドにはドリブラーの松井大輔が起用され、中村俊輔はベンチに置かれることとなった。 日本代表は本田圭佑のゴールでカメルーン戦に勝利したが、俊輔に出番が回ってくることはなかった。続くオランダ戦は、ウェズレイ・スナイデルのゴールで先制を許すと、64分に松井に代わって今大会初出場を果たした。しかし、ゴールを割ることができずに日本代表は第2戦を落とした。 デンマーク戦では前半に本田と遠藤保仁の直接FKで2点を先行した。俊輔の出場はなかったが、日本代表は3-1で勝利を収めて2大会ぶり3度目のグループステージ突破を決めた。ラウンド16のパラグアイ戦は膠着状態のまま時計の針が進む。得点が欲しい場面だったが、岡田監督が俊輔をピッチに送り出すことはなかった。日本代表はPK戦の末に敗れて、初のベスト8は叶わず。わずか26分間の出場に終わった俊輔は、この大会を最後に日本代表から退いている。
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