衝撃受けた先輩は「いなかった」 選手は自己中に…100敗目前、暗黒時代の“実情”
山口俊氏は力士だった父に鍛えられ、柔軟で力強い下半身を身につけた
DeNAや巨人などでプレーした山口俊氏は、元幕内力士・谷嵐の久さんから譲り受けた体格を生かし、NPBで先発や抑えとして活躍。メジャーも含めて17年のプロ生活を送った。大分・柳ケ浦高から2005年高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)に入団。チームは同年こそ3位だったが、2006年からの10年間で最下位7度、Aクラス入りは1度もなく、ファンの間で「暗黒時代」と呼ばれた時期だった。Full-Countのインタビューでは幼少期や横浜入りを希望していた理由などを語った。 【写真】「チャラい」「そんな昔じゃないのに…」 山口俊の6年前の写真 幼い頃から父が開いていた地元・大分の相撲道場へ通い、四股、すり足、ぶつかり稽古などで鍛えられ、自然と柔軟で力強い下半身が出来上がっていた。「粘りという点では相撲トレーニングは生きていたと思います。投げる上で重要な“ため”ができた。動きの中での強化。(現役中も)四股は踏んでいましたけど、もっとやっておけばよかったと今は思います」。 始めは相撲と野球の“二刀流”も、小学5年頃に野球に専念。中学時代は仲間にも恵まれ、九州大会に出場。高校進学時には全国40ほどの学校から声がかかったという。 「私は大分の中津市出身なのですが、地元から甲子園に行きたかった。柳ケ浦高の練習を見学したときに、レベルが高くて、子供ながらに自分もここで成長したいと感じる部分がありました」。1年夏、3年春に甲子園に出場。2年時には明治神宮大会で優勝するなど、プロ注目の存在となっていた山口氏は「地元九州のソフトバンクか横浜に入りたい」と希望していたという。 「試合に出られるチャンスがあるかなと思ったんです」。ドラフトイヤーだった2005年のソフトバンクは杉内俊哉、和田毅、斉藤和巳、新垣渚がいずれも2桁勝利をマーク。「鉄壁な投手陣で、これじゃ無理だと」。一方で横浜は三浦大輔、門倉健、土肥義弘が2桁勝利を挙げたが、ソフトバンクとの層の差は大きく「ここなら自分が頑張れば早くローテに入れるかなと思いました。意中の球団が自分に興味を示してくれたのはよかった」と振り返った。