衝撃受けた先輩は「いなかった」 選手は自己中に…100敗目前、暗黒時代の“実情”
好打者が揃っていたが…負け続けた理由は「いまだにわからない」
飛び込んだ憧れのプロ世界。待ち受けていたのは膨大な練習量だった。「こんなに練習がきついんだと思いました。技術練習ではなく、当時は根性論的な。めちゃくちゃ走りました。こんなんで野球うまくなるんかな、と感じていたのは鮮明に覚えています」。 当時の先発陣に対しても「捕手のミットが動かなくて、三浦さんのコントロールは凄いと思いましたけど、大きな刺激となるような、衝撃を受けた先輩は正直、いませんでした。むしろ頑張ればチャンスがあるなと思っていました」。実際に高卒1年目ながら6月29日の巨人戦(横浜)先発でプロ初登板を果たすと、6回2安打1失点でいきなり初勝利。この年は5試合に先発し1勝2敗、翌2007年も6試合に登板するなど、徐々に頭角を現していった。 野手陣には内川聖一、村田修一、石井琢朗ら好打者がズラリと揃っていたが、勝てなかった。「正直、いまだにわからないんです。なんで勝てなかったのか。投手陣は点を取られていたけど、ある程度のメンバーがいて、なんでなのかなと思っていました。負けて当たり前ではないけど、そういうのがあったんでしょうね。選手層とかではなく」。 2008年からは3年連続で90敗超。周囲からは「100敗するのでは」とも言われた。51勝93敗だった2009年は、リーグを制した巨人との差は42.5ゲームだった。
Aクラス遠のき「最終的に個人成績に走ってしまいます」
交流戦や球宴明け頃から優勝戦線から離され、Aクラス入りも現実的でなくなると「最終的に個人成績に走ってしまいます。チームとして1点を取りにいくよりも、打者は自分が打てればいい。投手は自分が抑えればいい、という雰囲気になっていました。そこが勝てるチームと勝てないチームの差なのかなとは思います」。 それでも山口氏は個人成績を重視することに理解も示している。「仕方ないですよね。勝てないから個人成績に走るというのは当たり前だと思います。各選手の成績が上がればチームも勝てるのでは、という考えもある意味で理にかなっているので」。 山口氏自身にも同様の意識があった。「プロの世界ですから。自分の成績を出さないと評価されない。チームが勝てないなら、自分の成績を上げて自分の価値を高めないと意味がないと思ってやっていました」。勝てない時期にファンから厳しい声もあったが「僕自身はあまり気にしていませんでした。ただ、選手たちは『みとけよ』という気持ちで戦っていましたね」。横浜暗黒時代のチームの“内情”だった。
湯浅大 / Dai Yuasa