ブラジル代表、背番号10の系譜(2)遊び呆けて大批判…転落の始まり、最強ファンタジスタも沈黙
ブラジル代表は長きに渡ってサッカー界をけん引し、その輝かしい歴史の中で「10」という背番号のイメージも作り上げてきた。世界の覇権を争う舞台で重要な意味を持つ背番号を任された選手たちはどんな活躍を見せたのだろうか。18年ロシア大会までのワールドカップでサッカー王国・ブラジルの背番号10を務めた選手たちを大会ごとに振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの
ドイツワールドカップ
背番号10:ロナウジーニョ 生年月日:1980年3月21日(当時26歳) 個人成績:5試合出場/0得点1アシスト 監督:カルロス・アルベルト・パレイラ 戦績:ベスト8 2連覇の期待度は高かった。ロナウジーニョ、アドリアーノ、ロナウド、カカの4人で構成される「カルテット・マジコ(魔法の4人組)」は大会を席巻するのではないかと見られていた。ロナウジーニョ自身、前年のコンフェデレーションズカップで3得点を挙げ、優勝に貢献したうえ、所属するバルセロナでは2005/06シーズンのチャンピオンズリーグを制覇。まさにキャリア最高の時期を過ごしていた。 一方でチーム全体の高齢化が進み、ピークを過ぎているとの懸念もあった。結局、ドイツでのワールドカップ本大会が始まるとブラジル代表は低調で、「カルテット・マジコ」も4人で5得点と期待を大きく裏切った。ロナウジーニョは5試合に出場するも無得点、アシストも1つのみ。チームとしてもフランス代表に敗れた準々決勝では枠内シュートがわずかに1本と、完全に沈黙した。 ブラジル代表は欧州開催のワールドカップで結果を残せないジンクスを抱えたまま、ベスト8止まり。もちろん選手たちはファンやメディアから苛烈な批判に晒されたが、CL制覇を成し遂げて燃え尽き気味だったロナウジーニョにとってはどこ吹く風だった。 ワールドカップからバルセロナに戻ってすぐ、彼は自宅にアドリアーノを招いて盛大なパーティーを開催し、夜通し遊び呆けて非難を浴びる。この頃から稀代のファンタジスタは私生活での不摂生や放蕩ぶりが祟ってパフォーマンスを徐々に落とし、輝かしいキャリアに影が差すようになっていく。
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