カブトムシが世界のゴミ&食料問題を解決!? ''好き''の追求は必ず誰かの役に立つ #豊かな未来を創る人
35万円のカブトムシを買ったニート時代
── カブトムシにハマったのはいつからですか。 陽佑 物心ついた頃からですね。秋田県大館市に母方の祖父母の家があって、毎年夏になるとそこでカブトムシを採るのに夢中でした。僕たち、カブトムシがヒーローとして登場するカードゲーム「ムシキング」のど真ん中世代なので。 ── 今は、その大館市にTOMUSHIの本社があるのですね。 陽佑 はい、僕たちは小学校に入るまで、大館で生まれ育ったんです。その後、家族で青森に移ったんですが、中学のとき僕が父と大ゲンカをして家出しました。そこから、僕だけ大館の祖父母の家で暮らすようになりました。
── その後、一緒にビジネスをするようになるまで、それぞれどんな道を辿ってきたのですか? 陽佑 僕は中学を卒業して青森の高校に進学したのですが、一学期で退学になってしまったんです。授業中にふざけたり、朝遅刻ギリギリでフェンスをよじ登ったりしていたのが見つかって......。それから地元のタイル会社で働いた時期もあったのですが、持病のために退職。通信制の学校に通い、東京の青山学院大学経済学部に進学しました。 健佑 僕は青森で両親と暮らしていたのですが、高校卒業後、東京メトロに就職して上京したんです。でも、単調な日々に疑問がわいて、1年半後に退職。その後、 大手企業が若手人材育成のために運営する一般社団法人で働くことに。そこは給料をもらいながら、さまざまなビジネススキルを学ぶ機会が提供される場所だったので、起業や経営についていちから勉強しました。 ── 高校卒業後に、東京で再び兄弟が集結したと。 陽佑 はい。それまで「もし二人とも東京に行ったら、一緒に何かしようぜ」という話をしていたんです。それで20歳のときに、一緒に渋谷でITベンチャーを立ち上げました。そのときは稼げそうという理由で、WEBやSNSマーケティングの会社を作ったんです。でも蓋をあけてみると、事業は惨敗。そこへ、おじいちゃんが体を壊したという連絡が入ったんです。兄も僕も、起業と同時に仕事と大学を辞めていたので、二人で祖父母のいる大館に帰ることにしました。 ── 地元でゼロからのスタート。焦りなどはなかったですか。 陽佑 当時、僕たちはもう成人していたわけですが、それでもおじいちゃんたちは、子どもの頃と変わらず、孫として可愛がってくれて。お金に苦労させないようにと面倒を見てくれていました。なので、正直焦りはなかったですね。兄は分からないですけど(笑)。 健佑 いや、僕は漠然とした将来の不安が常にありましたね。大館には働き口もなかったので。この先どう生きていこうかと毎日考えながら、おじいちゃんとおばあちゃんにご飯を食べさせてもらうという、そんな生活でしたね(笑)。 ── そこからカブトムシのビジネスにどうつながっていったのですか。 陽佑 細々とIT系の仕事をしてはいたものの、ほぼニートみたいな生活を送っていたんです。それで毎日暇つぶしに、カブトムシを採りに行くようになりました。そうしたら全然採れないので、悔しくなっちゃって。二人で、カブトムシを購入して育ててみようという話になりました。どうせ買うなら、立派なものを買おうと、カブトムシの王様といわれるヘラクレスオオカブトを買ったんです、35万円で! ── 35万円......!? 陽佑 おじいちゃんおばあちゃんにおねだりをして、一番高いやつを買ってもらいました(笑)。 健佑 育てたカブトムシをWEBにアップしたら、買いたいという人が出てきて。そこからカブトムシを飼育・販売する、ビジネスを始めたんです。すると想像以上に需要があり、事業を拡大することに。合計400万円を祖父母から借りました。最初は「バカを言うんじゃない」と怒られましたが、毎日思いを伝え続けたら、本気だと理解して出資してくれることに。それで、カブトムシの種類を増やし、農作業小屋を飼育スペースとして改装しました。地元でも注目してもらい、銀行から1,500万円出資してもらえるようになりました。