元日本代表がJ3移籍「まだJ1でやれる」 自分で洗濯の環境も「覚悟を持っていた」【インタビュー】
J1からJ3への移籍は「覚悟を持っていた」
元日本代表の肩書きがあり、J1でもバリバリプレーしていた選手がJ3へ移籍するなかで、苦しかったことや挫折、苦労したことなどはなかったのか。 柏木氏は移籍について「行くって決めた時、自分はJ3の選手だと覚悟を持っていた」と力強く語り、「もちろん環境も質も圧倒的に違う。だけど、自分が向き合ってできることをやっていこうと思っていたので、苦しいという思いはなかった。練習場も定期的に変わったり、洗濯を自分でやるとかいろいろあったけど、岐阜に行ったから苦しいという気持ちはなかった」と明かしている。 それでもいろいろ思うことはあったという。「浦和では代表に近い人や上手い人とやっていたので、その中でやっているから自分が活かされていたと岐阜に来て実感した。岐阜では年下が多く、こういう選手をどうやって伸ばして、どう声を掛けたら良かったのかと、3年経っても全部が全部できなかった。昇格させたかったし、選手1人1人の能力を引き出したかった。メンタル部分もプレー面も、もっとこうしたらいいと伝えきれなかったり、もどかしさを感じた」と、心残りであると語っていた。 岐阜移籍初年度のシーズンは、リーグ戦19試合1ゴール4アシストを記録。翌22シーズンはキャプテンに任命されたが、ハムストリングの負傷や、10月にはアキレス腱断裂で長期離脱を余儀なくされるなど、18試合の出場にとどまった。そして23年11月にこのシーズンを持って引退することを発表した。 「思ったより長くやれた。今も復帰したいとも思わないし、やり切れた。若い時に欲を出して海外に行けていたら、自分の違う一面を見せられたかなと思うけど、最後には何の後悔もなかった。みんなチャンスがあるならチャレンジしてほしいと思う。もっとチャレンジして、迷うぐらいなら将来に向けて海外は行った方がいい」と、後輩たちへメッセージを送った。 最後に、現役生活18年と長いキャリアのなかで、たくさんの名手と呼ばれる選手たちと対峙したなか、「敵わないと思った選手はいなかった」としつつ、「守備的にディフェンスしてくる選手は難しかった。タイプ的に今ちゃんとか、普段優しいのに、試合だとガンガン来るのは結構嫌だった。ガツガツ来る系の人は苦手だったかな」と、代表でも共闘し、現在南葛SCでプレーする元日本代表MF今野泰幸の名を挙げている。 [プロフィール] 柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)/1987年12月15日生まれ、兵庫県出身。サンフレッチェ広島ユース―広島―浦和レッズ―FC岐阜。恩師のペトロヴィッチ監督に見出され、代表まで駆け上がった。現在は古巣の岐阜でクラブアンバサーを務める傍ら、地域貢献を目指し鵜飼観覧船の船頭も務める。J1通算392試合56得点、J2通算31試合4得点、J3通算61試合1得点。日本代表通算11試合に出場。
FOOTBALL ZONE編集部・小西優介 / Yusuke Konishi