元日本代表がJ3移籍「まだJ1でやれる」 自分で洗濯の環境も「覚悟を持っていた」【インタビュー】
岐阜移籍の経緯を柏木陽介氏が語った
元日本代表MF柏木陽介氏はJ3のFC岐阜でプレーしていた昨季限りで現役を引退した。J1の浦和レッズを退団し、J3への移籍を決めた理由や、経緯、さらに環境面などで戸惑ったことなどを語ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介/全4回の3回目) 【写真】「美しすぎる」「透明感」柏木陽介を支えるフリーアナウンサーの美人妻 ◇ ◇ ◇ 柏木氏はサンフレッチェ広島ユース出身で、2006年にトップチームへ昇格しプロデビュー。5シーズンプレーしたのち、10年に浦和へ完全移籍を果たした。浦和では広島時代にも共闘した恩師のミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下、シャドーやボランチの位置でプレー。12年シーズンはリーグ戦30試合6ゴール11アシストを記録。翌年もキャリアハイとなる34試合8ゴール12アシストを記録し、初のリーグアシスト王に輝いた。 日本代表にも10年1月のアジアカップ最終予選に初招集され、翌年のアジアカップ本戦にも選出。代表には16年まで定期的に招集され通算で11試合に出場するなど、充実なシーズンを送っていた。 しかし、21年の3月に新型コロナウイルス感染症拡大防止が呼びかけられるなかでの度重なる規律違反などを理由に浦和を退団となり、岐阜への移籍が発表された。「まだJ1でやりたいと思っていたし、できると思っていた」と当時の心境を明かしつつも、「岐阜が声をかけてくれた時、自分がどういう風に生きてきたかを2日ぐらいしっかり時間を作って考え、その時に自分は人や人の思いを大事にしてきた人間というのを改めて気付いて、カテゴリーじゃないなと。求めてくれる人に何かを返したいと思った」と、岐阜移籍を決断した理由を明かした。 また、「岐阜が最初に声を掛けてくれて拾ってくれた。感謝を返したいという思いしかなかった」と思いを語り、「家族や周りに伝えた時にはみんな『お前らしくていいね』『J3大変だと思うけど頑張れ』『いいチョイスだったんじゃないか』という声が多かった」とポジティブな反応が多かったと振り返った。