自分の精神を救済できるのは自分しかいない――福山雅治が振り返る30年、そして原体験としての「家族」
諦めが悪くて、ここまで来た
デビュー30周年を迎えた今も、ポップ・スターとしてこの国のミュージック・シーンを牽引し続ける。全身にまとうきれいな雰囲気も、志の高さを感じさせるまなざしも、20代のころから変わらない。 「成功したという感覚? いえ、そういったことは人が決めることだと考えていますから。それに自分自身、デビューした当時は30年もこの仕事を続けられるとは思ってもみなかったというのが本音です。むしろ、『やっていけるかな』と、気持ちはずっと不安定でしたよ」 順風満帆で来たかのような彼の口から、「不安定」という言葉が漏れたのは意外だった。 「いえいえ、そういう感覚はいつもあったし、今もあります。まずいつまでこの仕事ができるかな、とか、いつまでお仕事のオファーをいただけるのだろう、とか。ファンの方々も未来永劫、コンサートに来てくれて、CDを買ってくださるわけではないですから。でも、そんな不安や恐怖を抱えながら、どこかでわくわくしてきたのもこれまた事実なんです。音楽を生業(なりわい)とする者として、その両輪があって、狭間に生きてこそ、いかにいい音楽を作って、いかに感動していただけるかと、その危機感で創作に取り組んでこられたんだと思いますね」 紆余曲折をくぐり抜けて今、福山はまた新たな地点に立った。 「諦めが悪くて、ここまで来られました。30年間、支えてくれているファンの皆さんのことは本当にありがたく思っています。『遠くの親戚より福山雅治です』ってラジオにメールしてくださる方もいて(笑)。だからこそ甘えや、慢心はいけないと常に思っています。『これをやったら喜んでくれるでしょう?』的なアプローチをした瞬間にファンは去っていくものだと思っています。ファンの方たちは正直だし、嗅覚がすごく鋭い。僕自身も、好きなアーティストの音楽や何かしらの表現に『緩さ』のようなものを感じると聴かなくなりますもの」 そんなことを話しながら、ふっと何かを思い出したように目もとが緩んだ。 「『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』っていう映画があって。ライ・クーダーがキューバを旅したときに出会った老齢のバンドがいて。ヴィム・ヴェンダースが監督で、ドキュメント風に撮った作品なんです。そのバンドのヴォーカリストであるコンパイ・セグンドが葉巻をくゆらして、座ったまま歌っている。その姿が人生そのものであり、音楽そのものであり、歌そのものであり。ああいう感じは僕の理想なのかもしれない」 これから先。さらに年を重ねて、何げなくアコースティック・ギターをつまびいて歌う福山の姿も、きっと変わらず素敵に違いない。