自分の精神を救済できるのは自分しかいない――福山雅治が振り返る30年、そして原体験としての「家族」
そんな折、たまたま音楽評論家である湯川れい子のインタビュー記事を目にして、迷いがなくなった。 「ビートルズもエルヴィス・プレスリーも、アイドルになりたかったわけではない。けれど彼らはアイドルになった。アイドルというのは、なれる人しかなれないものだ、とおっしゃっていた。だから、もしも僕にアイドル的な要素があって、その部分が期待されているのなら、そこをある種、引き受けることは自分に与えられた役目のひとつであって、ひとつの仕事として全力で応えるべきなのでは、と思ったんです。それ以来、まずは『自分らしさ』といった『建てつけ』をやめようと思ったんですね。そこを求めすぎると逆に自分を苦しめると気づいたんです」 肝が据わった瞬間だったのだろう、そこから福山はシンガー・ソングライターとして作詞、作曲と格闘し始める。 「初めは他の作家さんたちに曲や歌詞を提供していただいていたんですが、やるなら自分の気持ちの底から湧き出るものを書きたい、と。まだ創作に関して何の能力も技術もないままでしたけど」 しだいに幅広い音楽ファンも増えて、やがて俳優としても大きく階段を駆けのぼっていくことになる。
子どものころから墓参りが好きだった
福山は、父の死以外にも、幼いころからなぜか「生きること、死ぬことをよく考える」子どもだったという。 「親戚も多く、幼い頃から法事に参列することが多かったからかもしれません。ちょっと似ているような違うような話なんですけど、僕は子どものころから墓参りが好きなんです。婆ちゃんとよく行きました。婆ちゃんが年をとってからはおんぶをして階段をのぼっていました。長崎は階段が多い町ですから。お墓をきれいに掃除して、花をお供えして線香に火を付け手を合わせる。すると、とても心が安らぐ。気持ちが整うというか、そのすがすがしさが好きなんです」
福山雅治の創り出す、ポップで軽快、幅広い音楽性。しかしどこか底流にある「情緒性」のようなものが、生まれ育った長崎での暮らしにあるだろうことがわかる話だ。 「音楽デビュー当初から、自分の頭の隅っこにはいつも『死生観』というものがあって。音楽表現のなかにも、背骨のように自分の表現を支えてくれていた。『家族になろうよ』という楽曲にしても、『幸福論』や『桜坂』にしても、歌詞のどこかの一行で『人生とは無情なもの』という影の部分を挿し込んでいます」 今回のアルバムには、表題曲をはじめ、ラストを締める「彼方で」という、心に沁みわたってくるナンバーがある。歌詞のなかに「星より遠くの場所」という、美しい言葉が出てくる。 「『星より遠くの場所』という表現は気に入っています。よく星になるっていうじゃないですか。でも僕は、逝ってしまった人は星よりもっと遠くにいるような気がして。でも、逆説的に、生きていたときの面影や思い出は、残された人の心の中にはずっと生き続けるわけで。その不可思議さというか、儚さを歌にしたかった」