豊洲市場協会の伊藤会長が会見(全文1)船出は順調、ほっとしている
11日に開場した豊洲市場の業界団体で構成する豊洲市場協会の伊藤裕康会長が16日、東京の外国特派員協会で記者会見を行った。 伊藤会長は会見で、「83年間、お世話になった築地市場に心から感謝をささげつつ、この新しい豊洲の地で立派な市場をつくり上げていきたい」と抱負を述べた。 ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードはYouTubeのTHE PAGEチャンネル上の「豊洲市場が開場 市場協会の伊藤会長が記者会見(2018年10月16日)」に対応しております。
伊藤会長による移転経緯の説明
伊藤:皆さんこんにちは。豊洲、まだ言い慣れないんですけど、どうしてもすぐ築地と出てしまうんですが、今まで築地の市場協会の会長をしておりまして、今度、協会自身も名前を変えて豊洲市場協会ということにいたしました。 皆さんご存じのように、この10月11日に豊洲市場をオープンいたしました。これまで私たちは長い年月を掛けて築地市場がだいぶ年を取っちゃったと。機能もだいぶ衰えたと。そしてまたいろんな意味で、例えば輸送なり、あるいは商品の性質なり、そういうものが大きく変わりつつある中で、この築地の今の状態、こういう設備でよろしいんだろうかという問題が一番大きな問題でありました。 1970年代に市場を、これは水産の築地、それから製菓の神田、こういう市場をまとめて、そして大井の地に、こちらへ移したらどうだという提案がございました。この頃から、特に築地の水産物に関しては、果たして大井に行くのがいいのか、あるいはそれは業界の総意としては、それは絶対に反対だと、そちらへは行けないというような意思が大変強くて、そしていろいろ話がございまして、じゃあ築地でそのまま建て替えようかということに、いったんなったんでございます。そしてそれを、いわゆるローリングと言って、工事をやりながら、そしてローリングで順々に建て替えていくというやり方を決めてスタートしました。 幾つかの工事もし、建物も建てたり、いろんなことをやったんですけども、これでもやっていくうちにいろんな問題が出てきた。業界の調整、あるいは場所を巡ってこれはどうしたらいいんだというようなことで、なかなか協議がまとまらない。そうしているうちにお金もどんどん掛かってくる。そういう中で約7年間これをやったんですけども、これは無理だと。駄目だということで、これはやはり新しいところに土地を求めて、そしてそこに市場を造ったほうがいいということになりました。そして、この豊洲という土地、ここに市場を造ろうということに方針が決まったわけでございます。東京都の方針でございます。 で、設計をし、工事に掛かるというところに行ったわけですけれども、そこで土地の汚染問題が出てきたということで、今度はこれをいったいどうしたらいいんだということで、かなりの良くないデータが出たわけですけども、それらを全部オープンにしまして、そして皆さんでこれをどういうふうにしていったらいいんだと、土地を浄化するのが一番いいのか、あるいはほかに土地を求めなきゃいけないのかということも含めて、いろんな議論がございました。専門家の先生方にも長期にわたっていろいろ検討していただく、あるいはデータもいろいろ取っていただく。そういう中で、これは土地を浄化して、そしてきれいな土地にして、そしてここに市場を建設しようということになりました。 徹底的に土地を、土を入れ替える、浄化する、きれいにする。そういう作業が続きまして、そういう中で確か約2年ほど掛かったと思いますけども、これで、これならいいということで、ここに設計に掛かり、そして市場を造り、そして竣工したということでございます。