穏やかに逝きたければ、こう死ね 医師の父が示してくれた「お手本のような最期」
だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
死を受け入れることの効用
父は医者の不養生を地で行く人で、もともと麻酔科医でしたが、糖尿病でありながら、食事療法などはいっさいせず、七十歳で倒れたときには血糖値が七百を超えていました。 八十歳くらいまでは生きたいと思っていたようですが、その年齢を超えると、今度は無闇な長生きを恐れるようになりました。九十歳や百歳まで生きたら、苦しいだけの生活が待っていることを知っていたからです。 ですから、八十五歳で前立腺がんの診断を受けたときには、「これで長生きせんですむ」と喜び、治療を勧める医師に、「とんでもない」と断りました。 八十六歳のときに腰椎の圧迫骨折を起こし、食欲をなくして水分もほとんど摂らなくなりました。そして、見舞いに来た孫に、「あと、十日ほどで楽になるわ」と言い、自ら死を受け入れる気持ちになったようでした。父は入院はもちろん、検査や治療も無用と言い、「いい人生やったわ。みんな、ありがとう」と笑いながら、介護用のベッドで横になっていました。 そんな重症なら病院に連れて行くべきだと言う人もいるかもしれませんが、連れて行ったらただでさえ圧迫骨折で痛いのに、X線検査のために身体をあちこち向けさせられ、CTスキャンなども撮られて、「圧迫骨折です」とわかりきった診断名を告げられた上、結局、湿布と安静を指示されるだけです。それなら、はじめから家で湿布を貼って安静にしているほうがよほど合理的です。 父の場合は、本人をはじめ、家族全員が父の死を受け入れていたので、穏やかに看取れたのだと思います。冷たいと思われるかもしれませんが、父の年齢で気持ちが死に向いたなら、そのまま受け入れたほうがいいことを、家族のみんなが理解していました。 死を受け入れると、食事や水分を摂らないからと心配することもなく、血尿が出ても検査や治療の必要はなく、便秘が続いても浣腸さえしませんでした。褥瘡(床ずれ)の予防もしませんし、寝たきりになる心配も不要です。苦痛があれば取り除く用意はしていましたが、安静にしているとそれもなかったので、ただ静かに父の最期を待っていました。 しかし皮肉なことに、いつ死んでもいいと思うと、かえって死はなかなか訪れてくれないようです。父の食欲不振の原因は、もともと圧迫骨折による痛みでしたから、日時がすぎると徐々に回復してきて、少しずつ食べるようになりました。とても命をつなげる量ではありませんでしたが、死を受け入れているので、「もう少し食べて」とか、「水分も摂って」などとは言いません。食べたいだけで終え、飲みたくなければ飲まずにすませて、必要なカロリーなどはいっさい考えませんでした。 私たち家族は、父に感謝し、父のおかげで幸せな生活ができたことを喜び、父もそのことに満足しているようでした。病室にしていた和室には、穏やかな空気が流れ、何の煩いもありません。父はガラス戸から庭を見て、「ああ、バラの花が輝いて見えるわ」と言いました。いわゆる“末期の眼”だなと思って見ると、私にもバラの花が輝いて見えました。父といっしょに見るバラは、これが最後だなと思ったからです。“末期の眼”は、死にゆく人だけが感じるものと思っていましたが、そうではないことをそのとき悟りました。 やがて徐々に弱ってきて、圧迫骨折から一年三ヵ月後、父は誤嚥性肺炎で八十七年の生涯を閉じました。自然に任せていたので、あまり苦しむことなく、発症から一日で亡くなりました(詳しい経緯は幻冬舎新書の『人間の死に方』に書きましたから、興味のある方はそちらをお読みください)。 死が近づいてきたとき、多くの人が不安や心配にとらわれ、病院で無益な治療にすがったり、厄介な検査を受けたりするのは、やはり死を拒否しているからでしょう。早すぎる死は困りますが、ある程度の年になれば、死を受け入れるほうが上手に死ねます。 そのためには、どこかで覚悟する必要があります。父が比較的、抵抗なくそれを受け入れたのは、医者という職業柄、超高齢になって生きることのつらさを熟知していたからでしょう。 さらには仏教やタオイズム(道教)的な素養も影響していたかもしれません。 ―足るを知る。 これが私が父から受け継いだ上手に死ぬための秘訣です。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)