〈エアコン設置から自衛隊配備、大阪都構想まで〉住民投票は直接民主主義なのか? 大阪大学・砂原庸介
法律に定めがない住民投票の場合、議会の承認を得ないと実施できない住民投票には意味がない、という主張は当然のようにも思われる。特に、近年のように議会不信が強いと、議会の問題ある決定を拒否したいという感覚を持つ人は少なくないだろう。しかし、あらかじめ住民投票を行うことが定められていない場合は厄介な問題が起こりうる。それは議会で多数派にならないグループが、住民投票の発議を取引材料に多数派と交渉して、場合によっては住民投票なしで、有権者から見て望ましくない決定をすることである(※7)。政治家のみの意思決定ではなかなか多数を獲得できない政治家が、そんな決定では住民に拒否されるぞ、と脅すことによって、自分に近い政策の実現を図るのである。住民投票がそのように利用されるとすれば、もはや直接民主主義とは関係ないし、ましてや望ましい結果をもたらすとはいえないだろう。 このように、住民投票は、住民にとって望ましい決定を行う直接民主主義を実現するためのツール、というような単純なものではない。小規模な自治体で住民が自ら責任を負うことができるような場合を別として、選ばれた政治家の決定に対して住民が拒否権を行使する(=変更せずに現状のままにしておく)機会であるととらえるべきだろう。 地方分権が進む中では、政策の重要性を地方自治体ごとに判断することが増えてくるだろう。そこで、住民投票の実施に議会の多数派の賛成を求める現在のような制度では、住民の意思が問われるべきときに問われない、という不満を招きやすい。かといって、少数派が簡単に住民投票を提起できると、政治過程が混乱し、住民にとって望ましくない決定が行われる原因になりかねない。そのため、あらかじめどのようなときに住民投票を行うべきか、誰が住民投票を発議することができるか、といった制度的な取り決めを行っておくことが、重要なのである。 -------------------- 砂原庸介 (すなはら ようすけ) 1978年、大阪府生まれ。2001年東京大学教養学部総合社会科学科卒業。2009年東京大学大学院総合文化研究博士(学術)取得。2013年大阪大学法学研究科准教授、専攻は政治学・行政学。『地方政府の民主主義―財政資源の制約と地方政府の政策選択』(有斐閣)、『大阪―大都市は国家を超えるか』 (中公新書)など。