〈エアコン設置から自衛隊配備、大阪都構想まで〉住民投票は直接民主主義なのか? 大阪大学・砂原庸介
「拒否権」としての住民投票
拘束力がない住民投票にはどのような意義があるだろうか。最終的に決めるのは長や議員といった政治家だから、ほとんど意味が無いという見方はありうる。そうは言っても、政治の場における議論がある程度煮詰まった上で住民投票にかけられるとしたら、法的な拘束力はないとしても、関係者はその結果に従うことが求められるだろう。反対に、交渉相手がいるなどで、賛否を確定できない段階で住民投票の結果が出ても、それが実現するかはわからない。たとえば、合併を問う住民投票でも、合併相手と具体的な交渉を進めていない段階で住民投票が行われて住民の意思が示されたものの、最終的に住民の望むかたちで合併が行われなかったところも多い。 具体的な政策の選択肢が絞りこまれた上で住民投票が行われるということは、住民投票がその政策に対して実質的に「拒否権」を持つ可能性があるということである。つまり、長や議会が現状からの変更を決定しようとするのに対して、重要な問題だから住民投票によってその変更を認めるか、あるいは拒否するかを決めるということである。冒頭の例でいえば、与那国町では基地がない状態からを誘致するという変更、所沢市ではエアコン設置を止める(9年前からエアコン設置が既定路線)という変更、大阪市では政令市を廃止して特別区を設置するという変更を認めるかどうか、が問われることになる。
このように住民投票をとらえると、ポイントになるのは「誰が住民投票を発議するか」であると考えられる 。長も議会も、選ばれた政治家による決定が望ましいと考える場合は、住民投票を利用したいとはなかなか思わない。それは、自分たちの決定が拒否されると困るからである。そんな中で住民投票を利用しようとする政治家が出てくるのは、(1)その政治家が政治家のみの意思決定に不満を持ち、(2)自分の考え方が住民の多数派と近いと考えるときである。つまり、通常の政治過程では否決できないような決定に対して、住民の意思を問うことで拒否権を発動しようとするのである。 日本では、憲法95条や「大都市地域特別区設置法」のような法律で定められている場合を除いて、条例によって住民投票が行われており、住民投票の発議には地方議会の賛成が必要となる。住民も署名を集めれば条例の直接請求が可能だが、請求が議会で拒否されると住民投票は行われない。そのため、決定を行ってきた議会は、「拒否権」である住民投票をなるべく使わないようにしがちにある。それに対して、もし仮に議会での少数派(もちろん議会多数派の支持を得ていない長でもよい)が住民投票を簡単に発議できるとすれば、住民の多数派の支持を狙って頻繁に住民投票を提起することになると予想できる。議会での少数派が、住民による拒否権を発動しようとするのである。 実際に住民投票が実現した経緯を見ると、与那国町では、6人という少数の議員からなる町議会で、賛否が同数となったあと、賛成派が採決に参加できない議長を出したことで反対派が住民投票条例を可決することが可能になった。また、所沢市ではもともと議会も賛成していたエアコンの設置に市長が反対したという状況で、議会は住民の直接請求を認めた。議会の多数派が強固にまとまっていると住民投票は難しいが、議会での賛否が拮抗していたり、市長と議会の対立で多数派が割れていたりすると、住民投票に持ち込まれやすいと考えられる。