錦糸町の大人気「コの字酒場」の店主が紆余曲折しながら身につけた"攻めの姿勢"。「ラストオーダーこそ力を入れるんです」。
連載【店主の休日】第6回 「燗酒とコの字カウンター 井のなか」工藤卓也さん 酒も肴も旨い名店の店主の行きつけで一杯やりながら、その半生をひもとくこの連載。名店は私たちにとって天国、ならばその店主はまさに天使。そんな天使がどんなところで骨休めをするのか、きっと名店に違いない......。 【写真】工藤さんの行きつけ「平井魚政」の鰻重 そんな天使の休日もとい店主の休日をご一緒したのは、錦糸町で18年にわたり愛されている名コの字酒場「井のなか」の店主・工藤卓也(くどう・たくや)さんだ。東京有数の激戦区である錦糸町で、18年にわたって愛される店を営む工藤さんの半生とは。 * * * ■「元力士の店って、よく間違われるんです」 異常な暑さがつづくこの夏。残暑になってもちっとも過ごしやすくならないなか、待ち合わせの店に、大汗をかきながら姿を現したのは、工藤卓也さんだ。圧倒的に充実した日本酒の品揃えとフレンチやイタリアンのエッセンスまで感じさせるイキな肴で大人気のコの字酒場「井のなか」の店主である。 「最近、元力士の店って、お客さんからよく間違われるんです」 たしかに工藤さん、初めて出会った頃にくらべると、ずいぶんと体が大きくなった気がする。といっても、角界なら小兵サイズではある。 「昔はだいぶ痩せてたんですよね」 そう言って見せてくれた写真はたしかにスリム。どうもモテたらしい。なにしろ、この店を開くまでの工藤さん、ほんとうにイケイケの人生だったのだ......。 さて、毎度、名店の店主の行きつけにご一緒してお話を聞くのがこの連載の骨子である。毎回、さすがに旨い店のご主人は、旨い店で呑んでることにことのほか感服するが、今回も、また最高の店だった。JR総武線、平井駅から徒歩で5分ばかり歩いたところにある、鰻の名店「平井魚政」である。この店、鰻はもちろん、そのほかの料理もすこぶる旨い。実はここ、私も大好きなのだ。もともと工藤さんに教えてもらったのだが、あんまり旨くて、いまでは勝手に寄らせてもらっている。 ――ここは、美味しくて料理に集中しちゃって工藤さんの話を聞きそびれないように気をつけないといけませんねえ。 「うれしいなあ、そういうこと、言ってもらえると」 工藤さんと「平井魚政」の店主は長いつきあいだ。仲間が褒められたとき、工藤さんは自分のことのように喜ぶ。こういうところが、工藤さんの人柄全体を現しているような気がする。 1972年に千葉の鴨川で生まれた工藤さんは、地元で高校までを過ごし専門学校で簿記を学んだ。 「全然、飲食に興味はなかったんですよ」 照れ隠しでそういうことを言う人もいるが、工藤さんの目を見るとこれは本気だとわかる。実際、最初の就職先を選んだ動機が気持ちいいくらいストレートだ。 「で、その頃、地元に鴨川グランドホテルという会社があって、給料が高かったんで、そこに行こうと」 1993年。55年体制が崩壊した年だ。市場は不安定になっていたが、まだまだバブルの余韻がじゅうぶんに残っている時代だった。そんななか、当時、鴨川グランドホテルは本業のホテル業はもちろん、和食からタイ料理までさまざまな料理店を全国に出店し大成功していた。 「海外にも店を出していて、日本料理鴨川とか20店舗もありましたから」 ――(私は高校時代マレーシアに暮らしていたのだが)日本料理鴨川のマレーシアの支店に我が家は、よく行ってました。 「ええ、そうだったんですか」 こういうこともあるのだ。
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