ミャンマー軍事クーデターからまもなく4年、日本に住む難民申請者のその後 「緊急」措置から取り残された男性と、介護現場で働き始めた女性 #ニュースその後
「私、ちゃんと生きてるよ」
23年2月、ルルさんに難民不認定の結論が出た。同時に「緊急避難措置」が適用され「特定活動」の在留資格が与えられた。ルルさんは、これを受け入れた。 「本当は難民として認めてほしいけど…、私のような人はたくさんいるから」 その年の4月、介護の仕事に就いた。 「私たちきょうだいの面倒を見てくれたのはおばあさん。もし、おばあさんがいなかったら、私のいまはない。介護の仕事は大変だけど、おじいさん、おばあさんが好きなので。でも、もっともっと勉強しないと」 いま働いている老人ホームでは、早番、遅番のシフトや月3回ほどの泊まり勤務をこなす。入所者には認知症の人も少なくない。ついさっき食べたことを忘れてしまったり、同じことを何度も聞かれたり。 そんな時は「そうですか、お腹がすいているんですか、わかりましたって言って話を聞く。怒っちゃダメ」と。 とはいえ、すべてが順風満帆ではないのも現実だ。日本人スタッフからルルさんや仲間のミャンマー人に対し、嫌がらせやパワハラと受け止められるような行為が起きているという。上司には問題を伝えているそうだが、適切な対応がとられるのかどうか、ルルさんとは連絡をとりつつ注視したい。 先日、渡辺弁護士が久しぶりに電話した時の第一声は、「私、ちゃんと生きてるよ」だったという。 「この言葉はすごく嬉しかった。少数民族で、父親は反政府軍の将校だったので、その家族が難民でないはずがない。実際に生命を失ったかもしれない事態に彼女はいた。それなのに入管から無理難題な証拠を要求され、『立証されていない』と難民性を否定され続けた。私には彼女に十分な庇護をもって応えられなかったじくじたる思いがある。でも、とにかく正規の在留となって、日本で腰を据えて“ちゃんと生きて”くれている。その表現にとても救われた思いだった。在留を正規化することが、人の尊厳の回復には何よりも大切だと痛感する」 ルルさんはいま語る。 「ミャンマーに子どものころからの友達がいて、平和になったら私と一緒に老人ホームを作ろうと言ってくれている。田舎なので土地はいっぱいある。(軍との戦闘で)子どもを亡くしたおじいさん、おばあさんが多い。だから面倒を見られるように。それが私の夢」 ※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です
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