大活躍した16世紀の英国の海賊は上流階級出身だった エリザベス女王の「シードッグ」たち
女王の許可を得てスペイン船を略奪、フランシス・ドレークやウォルター・ローリーなど
16世紀に大西洋で活動した海賊といえば、「シードッグ」と呼ばれたエリザベス朝時代の英国の海賊たちだ。女王エリザベス1世(在位1558~1603)の命を受け、この海域で英国の存在感を高めるべく、彼らは大きな役割を果たした。その結果、主な標的とされたスペインの船にひどく恐れられた。 ギャラリー:16世紀の英国の海賊、エリザベス女王の「シードッグ」たち 写真と画像4点 シードッグは、女王の権限のもと私掠船(しりゃくせん)として活動した。シードッグには国王が発行する私掠免状が与えられており、他の海賊と一線を画していた。彼らはスペインと戦争中でなくても、英国の法律のもとで合法的にスペイン船を略奪できた。ただし、スペイン側はそう見てはいなかったが。 また、英国側では必ずしも免状が必要ではなかった。エリザベス朝時代、海賊行為を取り締まろうという試みは、どう見てもいい加減だった。外国船への攻撃、特にスペイン船が標的であれば、私掠免状がなくても大目に見られることが多かった。 その傾向は、英国西部地方の上流階級や地方官吏で強かった。地方官吏は海賊行為の取り締まりが任務だったにもかかわらず、容疑者を釈放する、そもそも逮捕すらしない、といったことを恒常的にくり返していた。 英国の臣民から見れば、シードッグの行為は愛国的であり、プロテスタントの信仰を広め、成長途上の英国海軍を補うものだった。しかしスペイン側は彼らを海賊と見なし、法廷ではそのように扱った。
スポンサーのいる海賊
船を自由に使えて、スペインから略奪をしたいと考えている者なら、誰でも女王エリザベス1世からの命を受けたり、出資者や商会をスポンサーにしたりして、スペインの船を狙うことができた。とはいえ、実際に海に出るのが多かったのは、上流階級の人々だった。 フランシス・ドレーク卿(1540~96)やジョン・ホーキンス卿(1532~95)、マーティン・フロビッシャー卿(1535頃~94)、 ウォルター・ローリー卿(1554頃~1618)など、名だたるシードッグたちの多くは上流階級で生まれ育った。 海とつながりがあった彼らは、外洋での略奪に磨きをかけ、その行為は「選別的海賊」 と呼ばれるようになった。彼らは大西洋全域、とりわけ新世界と呼ばれたスペインの植民地周辺によく出没した。 ちなみに、こういった私掠船の船乗りを「シードッグ」と名付けたのはスペイン人だ。主人の言いなりになる雑種犬というような意味が込められていた。 ただ、私掠行為を行えば、必ず利益を上げられるというわけではなかった。実際、私掠船の乗組員が賃金を得られることはめったになかった。 ではどうしていたかといえば、そこにあったのは「略奪品で支払う」という仕組みだ。つまり、攻撃で略奪した品物が分配された。しかしこの仕組みから、国を問わず略奪するという弊害が生まれ、ときに自国の船が襲われることにもなった。 女王エリザベス1世以外の第三者がシードッグのスポンサーになることも多かった。そのおかげで、国王は私掠船と距離を置きつつ、国益を拡大できた。 その顕著な例が、トーマス・ホワイトが1560年に行った北アフリカのバーバリー海岸への航海だ。彼はスポンサーの意向を無視して、米大陸の植民地から銀を運んでいた2隻のスペイン船を拿捕し、英国に連れ帰った。金銭に目がくらんだロンドンの官僚たちは、私掠免状なしに明らかな海賊行為を行ったことに目をつぶり、英国政府には略奪品の一部を受け取る権利があるとして、出資者と英国政府との間で利益を分配できるようにした。