大活躍した16世紀の英国の海賊は上流階級出身だった エリザベス女王の「シードッグ」たち
フランシス・ドレークの大きな成功
スペイン王はなんとか植民地の港を守ろうとしたが、英国によるスペイン領の襲撃は続いた。フランシス・ドレークは好んでスペインを標的にし、とくに防備の弱い場所を狙った。 1572年、ドレークはパナマにあるスペインの重要な拠点、ノンブレ・デ・ディオスの攻略に乗り出した。ペルーから運ばれた金銀財宝が、スペイン艦隊に引き渡される場所だ。 ドレークは、パスカ号とスワン号という2隻の小さな船を使ってわずか73名でそこに乗り込み、町を占領しようとした。だが、地元のスペイン民兵との小競り合いで負傷したため、撤退せざるをえなくなった。その後も1年にわたってこの地域に留まり、フランスの海賊ギヨーム・ル・テステュとも協力し、ラバの隊列から2万ポンド分もの金銀財宝を奪った。 その後もドレークは、1585年から86年にかけて、スペイン領西インド諸島で7隻の大型船と22隻の小型船からなる艦隊を率いて、スペインの防備の弱さを突き続けた。カーボベルデ諸島のサンティアゴ島で略奪の限りを尽くし、カリブ海有数の豊かな都市であるイスパニョーラ島のサント・ドミンゴを陥落させ、さらに、コロンビアのカルタヘナも占領した。 そして最後の締めくくりとして、1586年にフロリダのセントオーガスティンを破壊してから、英国に帰国した。 この1585年から86年にかけての大遠征でドレークらが手に入れたのは、略奪品や黄金ばかりではなかった。町と住民の身代金として、13万5000ダカット(貿易用金貨)もせしめている。英西戦争(1585~1604)を終わらせる英国とスペインの講和により、スペインに対する襲撃は終わりを迎えたが、その後も、シードッグの伝説は語り継がれている。 ※この記事はナショナル ジオグラフィック別冊『世界の海賊 海を愛した無法者たちの夢』の一部を加筆、再構成したものです。
文=Jamie L. H. Goodall/訳=鈴木和博