「恐怖政治の独裁者」ロベスピエールが、今なぜ再評価されるのか――「清廉なポピュリスト」の光と影
元祖〈ポピュリスト〉が求めたもの
新刊の髙山裕二『ロベスピエール――民主主義を信じた「独裁者」』は、まさにこうした流れのなかで生まれた作品と言える。では、本書独自の特徴は何だろうか。著者は、ロベスピエールが歴史上の他の「独裁者」と異なるのは、「彼が民主主義を信じ、それに身を捧げようとした、ということである」と述べる。本書は、ロベスピエールが信じ、生涯をかけて探求した民主主義とはいかなるものだったかを描くことに注力するのであり、そこが本書の読みどころとなる。 本書によれば、ロベスピエールは、「私は人民の一員である」と言い続けた「元祖〈ポピュリスト〉」であり、市民同士ないし市民と政府の一体化を求め、「代表者と人民の透明な関係性」を追求した。ここで注意すべきは、ロベスピエールが、あくまで代表者(議員)の役割を重視したことである。代表者が一般的な利益を示すことで人民との「透明な関係性」を構築する。そこで代表者に必要とされるのは、個別の利害関係にとらわれない「美徳」である。ロベスピエール自身、同時代人に「清廉の人」(=腐敗していない人)と呼ばれていた。他方で、不純な(=腐敗した)人物は糾弾や排除の対象になりえる。 ロベスピエールが信じた民主主義の根幹はかようなものであり、基本的には生涯変わらないが、それは歴史的文脈から生まれ、また歴史的文脈によって功罪を生み出していく。本書は、ロベスピエールの生涯をたどりながら、彼流の民主主義の危うさとともに、その可能性を探っていく。
女性の権利を主張した「清廉の人」
法曹一家に生まれたロベスピエールは、「抑圧された人びと」を擁護するためにやはり法曹の道に進み、啓蒙を掲げる弁護士として活動した。上述の「美徳」については、すでに1783年のアラス王立アカデミー入会演説で述べている。そこでロベスピエールは、「名誉」を政治的なものと哲学的なものに区分し、モンテスキューがイギリス君主制の原理として評価した前者の政治的名誉を批判する。それは地位や身分を前提とし、虚栄心と結びつくからである。それに対して、良心、あるいは人間の内面から湧き上がる感情が哲学的名誉とされ、それこそが「美徳」とされる。そして「真の共和政」は「美徳」ないし良心にもとづく政治であり、そうでなければならないと説かれるのである。 また、1786年にアカデミー院長に選出されたロベスピエールは、女性を学術の世界に受け容れることの意義を説いた。よく知られているように、ロベスピエールは、ジャン=ジャック・ルソーを「師」と仰いでいたが、女性の役割について「師」とは考えを異にしていたことは興味深い。ロベスピエールにとって、女性の「権利」を主張することは、偏見や無知との戦いの一環だった。この点は、「単純な、粗野に育てられた娘」のほうが「学識のある才女ぶった娘」よりもはるかにマシだと語ったルソーとは対照的である。もちろん時代的な限界はあったとはいえ、女性は男性の「お飾り」ではなく、その能力で評価されるべきだとロベスピエールが主張したことは過小評価されるべきではないと著者は指摘する。 1788年にフランス国王ルイ16世が全国三部会の召集を決定し、「世論」が大きな力をもつようになるなか、ロベスピエールも活発な言論活動を開始する。ここでロベスピエールは、身分制という社会構造自体の不正義を追及するとともに、「代表」問題については、人民の普通選挙権が不可欠で、これが実現すれば能力と美徳によってのみ「代表」は選ばれると主張した。また、ロベスピエールは、〈われわれ〉の外部にいる特権階級の「敵」以上に、第三身分(平民)内の「敵」のほうが革命にとってより危険な障害であり、その「敵」を〈内〉から排除すべきだと考えた。つまり、純粋な〈われわれ〉の創出がめざされたのである。 1789年4月、全国三部会の第三身分の代表に選ばれたロベスピエールは、ヴェルサイユで革命の渦に巻き込まれていく。そのなかでロベスピエールは、「能動市民」(公権力の形成に参加する権利をもつ市民)と「受動市民」(女性や子供、外国人、公に貢献していない市民など能動市民ではない者)を区別するようなシィエスらの議論に反対して、あくまで基本的人権と人民主権という革命の諸原理を強調し、とりわけ人間の「平等」を説いた。その際、ロベスピエールは人民を善良かつ寛大な存在と考えていた。革命が進むなか民衆と議員が乖離していくと、ロベスピエールは民衆に寄り添う姿勢を見せ、民主主義の守護聖人となった。さらに、1791年5月に議員の再選禁止法案を提出することで、ロベスピエールは「清廉の人」と呼ばれるようになる。