今後の大相撲に望まれるもの~大の里優勝の夏場所を振り返って
好角家の楽しみ
稀勢の里の前には特に、ことごとく白鵬という分厚い壁が立ちはだかっていた。一方で、覇権交代の象徴はいつの時代も物語を生み、ファンの心をくすぐる。白鵬がベテランの域に差しかかってきた頃、好角家で俳優の松重豊さんがインタビューで次のように語っていたのを思い出す。「今は白鵬時代で、誰が倒すのかという期待もあり、みんな観戦すると思います。ロマンをつくり続けてくれる白鵬に誰が引導を渡すかという点を含め、ここ5年は見ていきたいですね」。 新旧交代につながるドラマチックな勝負は語り草となり、世間の注目を集めながら国技の歴史として紡がれていく。例えば、古くは戦前の1936年夏場所。強さを誇っていた横綱玉錦に対し、7度目の挑戦で初めて破ったのが当時関脇の双葉山だった。結果的に双葉山は殊勲の星を初優勝につなげ、不滅の69連勝をマークして一気に横綱に上り詰めた。大相撲人気は沸騰し、1場所の日数が11日から13日、そして15日に増えるほどの盛況ぶりだった。優勝32回の横綱大鵬は1971年夏場所5日目。「角界のプリンス」と呼ばれていた21歳の貴ノ花(のち大関)に敗れ、土俵を去る決断を下した。 そして、ここ数十年で一番有名なのが1991年夏場所初日。18歳の貴花田が初挑戦で優勝31回の横綱千代の富士を撃破した。2日後に千代の富士は引退を表明し、貴花田はのちに横綱貴乃花となった。この一番は今でもことあるごとにテレビ番組などで紹介されている。また若貴ブームの一翼を担った貴乃花の兄、3代目横綱若乃花は2000年春場所で引退した。5日目に当時関脇で23歳の栃東(現玉ノ井親方)に負けて決意した。栃東は東京・明大中野高の後輩。敗れた取組後、相手が強くなったかと聞かれてこう口にした。「うん。うれしかった。栃東とやれて良かったです」。のちに栃東は大関に昇進。自分の限界を悟り、若手の成長を認める。いわば健全とも言える世代交代だった。