「隠れてトイレの水を飲んだ」低迷していた名門校…帝京高サッカー部“最後の優勝主将”が明かす、昭和の根性練習「フルマラソンでも水飲み禁止だった」
全国高校サッカー選手権6度の優勝を誇る帝京高校。しかし2000年代に入ると長く低迷する。“時代遅れ”になった名門校に帰ってきた“最後の優勝キャプテン”……再建に挑んだ日比威(ひび・たけし)氏のインタビュー。「もちろん水は飲めませんでした」いま振り返る“昭和の根性練習”とは? 【全2回の前編/後編も公開中】◆◆◆ 【貴重写真】懐かしい…「あの伝説の国立“雪の決勝”も…」松波、中田、日比…帝京高校サッカー部黄金時代をお宝写真ですべて見る
低迷していた名門
低迷していた古豪が、復活の兆しを見せている。 帝京高校は名将・古沼貞雄の手腕によって全国高校選手権で6度優勝(1974年、77年、79年、83年、84年、91年 ※優勝年度)。礒貝洋光、本田泰人、松波正信、中田浩二、田中達也といったOBがプロの舞台で輝きを放った。 帝京サッカー部OBの木梨憲武がたびたびテレビで話題にしたことでさらに名が広まり、高校サッカーにおける一大ブランドになった。 しかし2000年代に入ると下り坂を転がり始めてしまう。なかなか東京都予選を突破できなくなり、最後に全国大会に出場したのが2009年度の高校選手権。華やかな舞台に立てなければ、有望な選手が集まりづらくなる。ますます苦しい立場に追いやられた。
帰ってきた“最後の優勝キャプテン”
その負のスパイラルを断ち切ったのが、「選手権優勝キャプテン」の日比威(現・順天堂大学サッカー部監督、帝京高校サッカー部アドバイザー)だ。 日比は帝京高校3年生のときにキャプテンを務め、1991年度の高校選手権で小倉隆史や中西永輔を擁する四日市中央工業と両校優勝を果たした(当時の選手権決勝にはPK戦がなかった)。 順天堂大学を経てアビスパ福岡と水戸ホーリーホックで計3年プレーし、引退後は選手マネジメント会社で16年間働き、日本代表選手に帯同してイタリアやアルゼンチンに赴任したこともあった。 そういう異色の経歴が評価されたのだろう。2014年に帝京高校サッカー部のコーチに招聘され、翌年に監督に昇格。改革を成功させて2021年にインターハイへ出場し、11年ぶりに帝京を全国の舞台へ導いた。翌年にはインターハイ準優勝を成し遂げた。 選手たちも羽ばたき始めた。2018年度卒業のDF三浦颯太は日本体育大学を経てヴァンフォーレ甲府に入団すると1年で川崎フロンターレへステップアップ。今年1月のタイ代表戦で日本代表に初選出された。 また、2023年度卒業のFW横山夢樹とDF梅木怜がFC今治に入団。2人とも1年目からコンスタントに出場機会を得ており、梅木は今年3月にU19日本代表に選ばれた。 再生請負人という印象がついたのだろう。今年2月、日比は関東大学リーグ2部でもがいている順天堂大学から声がかかり、監督に抜擢された。これまた異例の転身である。 いったい日比は帝京高校サッカー部をどう改革したのか? 今回はその取り組みをクローズアップする。
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