「隠れてトイレの水を飲んだ」低迷していた名門校…帝京高サッカー部“最後の優勝主将”が明かす、昭和の根性練習「フルマラソンでも水飲み禁止だった」
「水を飲むことは禁止」
まずは日本一に何度も輝いたチームが、いきなり衰退してしまった理由を解き明かそう。 結論から言えば、「昭和的な根性トレーニング」が時代遅れになってしまったのだ。 日比はキャプテンとして選手権で優勝したとき、次のように感じていたという。 「帝京時代、僕は毎日のように『雨が降ればいいのに』と思っていました。軍隊のようなトレーニングばかりで練習に出たくなかったからです。それでも『おまえたちの先輩はこのやり方で優勝した』と言われ続け、正しいと思い込むしかありませんでした。 でも優勝したときに『やっぱり間違っている』と思ったんです。優勝したことですべてが肯定されるのが嫌でした。少なくとも僕は『本当にこれを先輩はやっていたの? 』と疑っていました」 いったい軍隊のようなトレーニングとはどんなものだったのか? 当然のように、練習中に水を飲むことは禁止だった。 日比はこう振り返る。 「あえて擁護するなら、練習で水を飲まないというのは理にかなっている部分もあったんですよ。当時、試合で水を飲めるのはハーフタイムのみでした。『だから35分間、40分間、水を飲まないでトレーニングしなさい』と。 今では喉が渇いてから水分補給したのでは遅いということが科学的にわかっていますが、当時はそういう知識はありませんでした」
「隠れてトイレの水を飲みました」
先生の指示は絶対だが、水を飲まないで激しい運動を続けたら脱水症状になりかねない。日比たちは生き残るために頭をフル回転させた。 「わざとボールをトイレがあるグラウンドの隅っこに蹴っ飛ばすんですよ。隠れてトイレの水を飲みました。夏は菅平に合宿へ行くんですが、そのときは川へボールを蹴り入れて、川の水を飲んだ。中学生のときにテレビで目にした高校サッカーの華やかさは何ひとつありませんでした」 実は中学時代、日比は真逆の環境でサッカーをしていた。ラモス瑠偉や与那城ジョージがいた読売クラブのジュニアユースでプレーしていたのである。だが、選手権のテレビ中継に憧れ、帝京高校へ進学する道を選んだ。それだけにショックが大きかった。 「読売クラブ時代は遊び球で相手を操り、相手の体力をそいでゴール前へ侵入するサッカーをしていました。それに対して帝京は遊び球はゼロで、ボールを奪ったら一直線にゴールへ向かう。しまいには私自身、試合に勝っても『全国からいい選手が帝京に集まり、他校がただ弱いだけなのでは』とひねくれた発想になっていました」
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