「隠れてトイレの水を飲んだ」低迷していた名門校…帝京高サッカー部“最後の優勝主将”が明かす、昭和の根性練習「フルマラソンでも水飲み禁止だった」
「30km走なのに給水がない」
ただし、先生たちも合宿でいきなりフルマラソンを課したわけではない。選手たちは普段から月に1回、30km走を経験していた。 「学校から戸田橋という橋まで約15km走るコースがあるんですね。河川敷を走れるのでランニングには絶好のコースです。月に1回、学校から戸田橋まで行って戻ってくる約30km走が恒例でした」 ちなみにその際も、水を飲むことは禁止だったという。 「マラソンのレースには給水があるのに、帝京の30km走には給水がない(笑)。先生の目を盗んで河川敷に設置された水道を狙うんですが、だいたい先生が立っているんですよね(笑)。 ソックスに100円玉を隠し、自動販売機で水を買った選手がいるんですが、ボタンを押した瞬間に先生が現れた。約1週間、水を持ったまま生活させられていました」 走って、走って、とにかく走る。テクニックは伸びなくても、間違いなく心身ともにタフさが鍛えられただろう。 「サッカーそのものの練習としては反復メニューが多く、スタート地点からパスを出したら、受け手の外側を回って追い越し、再び来たボールをワンタッチで落としたら外側を回って追い越すといった練習を延々とやっていました。 やはり帝京といえば走りがメイン。認めたくはないですが、当時の選手たちのフィジカルはすごかったです」 帝京は1974年度に高校選手権を初制覇し、そこから何度も日本一になった。これだけの結果を見せられたら、誰も否定できないだろう。
「ウォークマンを聞いて…」高校サッカー新時代が来た
スポーツでは、自分の限界を知ることももちろん必要だ。ただ毎日のように、走る練習を限界までやらされれば練習嫌いにもなるだろう。日比は「当時の練習のすべてがダメなわけではないが、効率良くやれたら、もっと良かったのではと思う」と振り返る。 選手たちは校内だけで生きているわけではない。思わぬところから「迷い」がもたらされた。自由な校風の学校が台頭してきたのである。 「ちょうど暁星高校が注目されたんですよ。ヘッドフォンを付けてリラックスして試合に臨み、先生の前でジュースを買っても怒られない。僕たちからしたら信じられませんでした。 東京都選抜チームで一緒になったときに、暁星の選手が試合前にウォークマンを聞いていて、『うわっ、うちの先生に怒られるぞ』とヒヤヒヤしたのを覚えてます。 堀越高校も規則にはめられず、ゆるい感じでやっているように見えた。そういう学校に選手が流れていくのは当然だったと思います」 言うまでもなく、選手はロボットではない。どんな成功モデルでも、選手の心が離れたらうまくいかなくなってしまう。 子供の価値観が変化したにもかかわらず、根性論と過去に固執した。それが通用しなくなった要因だろう。 では、日比は指導者になり、どうやって新時代の高校生の心をつかみ、新たな成功モデルを築いたのか? キーワードは「おにぎり」と「父母」である。 <後編に続く>
(「高校サッカーPRESS」木崎伸也 = 文)
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