ブルース・リーを知る男・倉田保昭が悪役として躍動する『帰って来たドラゴン』。日本のカンフー・マスターにくぎ付け
1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします! (イラスト◎筆者 場面写真 (C)1974 Seasonal Film Corporation) 【イラスト】昔も今も素敵!な倉田さん * * * * * * * ◆日本のカンフー・マスター 「カンフーですか?」この映画試写の案内を頂いたとき、私は正直戸惑った。私は痛がりかつ怖がりなので、プロレスはじめ格闘技はほとんど見ない。でも『帰って来たドラゴン』のチラシがなんだか気になった。 「カンフーってどんなの?」とアシスタントにきいてみると、なんとアシスタントのTさんが、強烈なブルース・リーのファン! 彼曰く、「観てみていいんじゃないですか?この倉田保昭さんは、日本のカンフー・マスターですから」 言われて調べると、倉田保昭さんは日本で俳優業をスタート。1970年に香港のショウ・ブラザーズ社のオーディションに合格したことから香港に移住。カンフー映画専門に転身されたそう。まあ行動が早い!決めたら即実行の、覚悟ある国際俳優なんですね! かのブルース・リーの『燃えよドラゴン』が1973年に大ヒットする哉、香港で1年間に30本ものカンフー映画が製作されます。1974年公開・倉田保昭さん出演の『帰って来たドラゴン』もその1つですが、群を抜いて人気を博し、ブルース・リーの映画に迫るほどだったとか。 そりゃあ付け焼き刃のなんちゃってカンフー作品と違いますよね、ブルース・リーのブレイク前から、カンフー一筋。香港の悪役スターだった倉田さんが熱いアクションを繰り広げるんだから!!
◆カンフー熱は止まらず 「1974年かあ。私は9歳。確かにあの頃、男の子がみんな〈アチョーッ!〉ってマネしてた」 「そうなんですよ、俺もむっちゃハマりました。ブルース・リーは32歳で、4作目の『死亡遊戯』の撮影中に亡くなり、世界的に知られていくのは死後なんです。 でもその時にカンフー熱は止まらず、すごく求められて、倉田さんも共演したジャッキー・チェン、ジェット・リーなどのスターが現れ、倉田さんはその仇役などで大活躍するんです!」アシスタントT氏は熱く語る。 ブルース・リーとも知り合いで、ヌンチャクをプレゼントしたそう。映画でつかわれたのは別の種類だけど、影響を与えたのは間違いないでしょう! 更に驚いたのは、香港ブレイクの後帰国して『Gメン’75』に出ていた事…覚えてますよ、この一直線の強そうな眉!!
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