「ユーミンの奴隷」になっても好きなものを信じる――時代とともに、松任谷由実の歩んだ50年
何度も聞かされた「売れない予言」
世はフォークとアイドル全盛期。しかも女性アーティストは数えるほどしかいない。それまでのポップスにはなかった斬新なメロディーに物語性の強い歌詞を乗せる彼女の存在は異端だった。 「変わった音楽という自覚もなかったけど、才能を見極めてくれる人も少なかった。しょうがないから『天才少女』と呼ばれれば自ら『天才です』とアグリーしてね(笑)。ストーリーテラーという言葉も今では普通に使うけど、物語を歌にするという概念自体がまだあまりなかった。でも、30代そこそこだったレーベルの大人たちが『日本の音楽を変えるぞ』という野心で私に賭けてくれた。それが最初のラッキーでしたね」 「デモテープ作りの段階で、プロミュージシャンの大人たちから『こんなコード進行は弾いたことがないから分からない』とさじを投げられた。キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)との出会いでだいぶ解消されたけど、もっとイギリスっぽいことをやりたかったから困りました」
業界関係者からの「売れない予言」も何度となく聞かされたという。 「『君は絶対売れない。哀愁の哀の字がないから』とか。演歌的な湿り気のことを指していたんじゃないかな。今思えばむしろ哀の塊みたいな音楽だったと思うけど、まだ子どもだったし、売れる、売れないということもピンときていなかったから、ぽかんと聞いていた」 「私小説も突き詰めれば普遍性を帯びる」。若い頃から彼女が取材の場でよく口にしていた言葉だ。 「私が書いたのは日常がいつもと違って感じられるリアルファンタジー。単に観念的な歌は作りたくなかった。リアルじゃないと書いた気がしなかったから」
デビューシングル「返事はいらない」は彼女いわく「300枚くらいしか売れなかった」が、73年のファーストアルバム『ひこうき雲』で大衆に発見された。同作収録の「ひこうき雲」は40年後にスタジオジブリ制作の映画『風立ちぬ』(2013年)の主題歌に採用された。その登場から長きにわたり愛される曲を生み出していたことが分かる。そして75年、シングル「あの日にかえりたい」が初のオリコン1位に輝くとユーミンブームが起こった。 「当時ではデビューから誰よりも早く売れたと思います。ただ、アイドルの変形のように捉えた熱狂的な男性ファンも多かった。結婚と同時にみんな離れていったけどね。めでたしめでたし(笑)」