「アイツ、俺を刺すんじゃ…」石原慎太郎が婚外子の「五男坊」に会いに行った日
前編記事『「田中角栄をやっつけよう」…元東京都副知事・濱渦武生だけが知る「素顔の石原慎太郎」』より続く。 【一覧】「次の首相になってほしい政治家」…上位に入った「意外な議員」
都知事選出馬の口説き文句
石原の議員在職は25年に及んだが、竹下派が我が物顔で蠢く政界に絶望し、'95年に「日本は宦官国家になった」という言葉を残して辞職。濱渦氏は石原を叱咤激励し、都知事という新たなステージに引っ張り上げた。 「石原さんは辞職後も常に日本がどうあるべきかについて考えていました。そこで『東京の総理大臣になったら変えられますよ』と持ちかけたところ、『だったら水飲み場まで連れて行け。水を飲んでやる』とおっしゃった。しめたと思いました」 「東京から日本を変える」というスローガンを掲げ、ディーゼル車の排ガス規制など国に先行した政策を行い、国に対しては物申す。物議を醸す言動も多々あったが、次第に世論の支持を集めた。その背後には常に濱渦氏の根回しがあった。 「石原さんが『知事をやめて新党を立ち上げ、国のリーダーを目指そう』と言っていた時期もあり、総理になった暁には米軍横田基地返還などに着手する予定でした。 だが、いよいよという段階で、長男の伸晃さんが自民党総裁選に出ることに。伸晃さんは'08年と'12年の総裁選に出馬。結果的に敗北しましたが、'12年の総裁選では当選が有力視されていました。 このとき、森喜朗さんや青木幹雄さんから『このままだと東国原(英夫)に負ける。伸晃を応援するから、都知事を続けてくれ』とアプローチがあり、石原さんはこの条件を飲んだ。私としては、総理を目指してほしかっただけに心残りのひとつです。 石原さんは『親バカ』と言われましたが、実際に公私混同は大いにありました(笑)。しかしそこは、典子夫人の意向も大きかった。長男の伸晃さん、三男の宏高さんが政界へ。典子夫人は息子が代議士になると、代議士の妻ではなく、代議士の母親になりました。口を開けば『パパ、伸晃がね』『パパ、宏高がね』と息子のことばかり。石原さんは家族に弱い。もし彼らが政治を志していなかったら、石原さんが国を司っていたはずです」