伊那谷楽園紀行(13)成功した企画展、大いにウケた「はやぶさ」手作り模型
盛岡に暮らす影山明仁が、捧という見知らぬ人物から、メールを受け取ったのは、2011年の秋だった。メールには、伊那市創造館という施設で、あなたの作品の展覧会をやりたいと記されていた。 大学生活を終えて、仙台のゼネコンで働いていた時、人生で二度と出会うことはできないであろう恋人に出会った。まだ20代の青春期。将来のことに考えは及ばず、ただ一日ごとに近づいていく心の距離がもたらす、甘酸っぱい感覚を楽しんでいた。
そんな甘酸っぱさが、熟した果実の味へと変わるくらいに時間が経った頃、恋人に誘われて、彼女の実家を訪れた。 「君は、うちの娘とどうしたいんだ」 待っていた父親のいかめしい問いかけに、瞬時に覚悟は決まった。 「今すぐではありませんが、一緒になるつもりです」 深々と頭を下げた。それから間もなく、影山は盛岡の住人になった。すぐに子供にも恵まれ、慌ただしい人生が続いた。妻の父親の稼業である不動産を学び、会社を譲られるとぐっと責任は重くなった。苦しくはなかった。 子供が成長するにつれて、一時はすべてを家族と仕事のために割かなければならなかった人生にも次第に余裕ができていった。人生に余裕ができると、様々な隙が生まれる人もいる。でも、影山はそうはならなかった。次第に出来てきた隙間に、どんどんとやりたいことを詰め込みたかったのだ。
興味の赴くままに、様々な趣味や研究を始めた。その一つが、マンガの間取りの再現だった。様々なマンガに描かれた風景から、不動産業ならではの知識をフルに生かして、この人物はこんな間取りの家に住んでいるのではないか。間取り図を描き、文章を添える。それは、いつしか話題となり不動産を扱うネットのニュースサイトからは連載の依頼もやってきた。積み上げられた間取り図は『名作マンガの間取り』(ソフトバンククリエイティブ/2008年)、『間取り☆探偵』(三栄書房/2011年)という、作品集ともいうべき単行本としてまとめられていった。 そうやって間取りが積みあがってゆくと、「模型にしたら面白いですよね」。という声も聞こえてきた。 しかし、当初の影山は「もともと2次元の中とはいえ立体的に描かれているものを模型にするというのはちょっと違うと思う」と言い訳をしていた。 本人も模型にしたら面白いと思ってはいたのだが、そこまで手を出す時間がなかったのだ。 そうしていたら、影山の本を読んだ山形に住む建築士である鎌田顕司が「ぜひ、模型を作らせてほしい」。と連絡してきた。 渡りに船だった。影山は、模型に必要なデータを鎌田に渡した。 「とても珍しいことをやっている人がいる」という話が広まり、幾度か地元紙やローカルテレビで取材を受けているうちに、展示会を行う話もやってきた。岩手町にある町立石神の丘美術館で開催された特別展は、口コミで広まり遠くからも駆けつける人がいる盛況になった。その展示物を、伊那市創造館でも展示させて欲しいというのが、捧からの依頼だった。 「きっと、こんな面白そうな展覧会だから、待っていれば近くにも来るだろう」