世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る
「世界のフラッグキャリア」と呼ばれた航空会社
ビートルズの米国進出や「007」シリーズへの登場、大相撲の表彰、さらにはアメリカ横断ウルトラクイズの決勝戦など、20世紀後半に多くの国の文化に影響を与えた航空会社が「パンアメリカン航空」、パンナムだ。 【画像】「えぇぇぇぇ!」 これが「1930年代のパンナム」です! 同社は長年にわたり、米国発の長距離国際線を運航し、 ・ビジネスクラスの設立 ・大型旅客機B747の開発 など、航空市場に大きな貢献をしてきた。その影響力は 「世界のフラッグキャリア」 と称されるほどだった。また、アジアの拠点を東京に置いていたため、日本人にもなじみ深いエアラインだった。 しかし、航空自由化が進むと収益力が低下し、経営の合理化に失敗してしまう。結果として、1991(平成3)年にパンナムは消滅することとなった。 今回は、そんな繁栄から消滅に至るまでの経緯を振り返ってみよう。
航空ビジネスの革新をリード
パンナムは1927年、フロリダ州のキーウエストとキューバのハバナを結ぶ旅客便と航空郵便の運航から事業を始めた。その後、創業者のフォン・トリップの強力なリーダーシップのもと、路線を世界各地に広げていく。 カリブ海や中南米に進出し、現地のエアラインの設立や資本参加にも関与した。また、大型飛行艇を利用してホノルル経由でグアム、マニラ、香港などのアジア路線にも就航した。 この間、パンナムは政府との関係も深め、米国をはじめとする西欧諸国の植民地政策の道具として使われた。さらに、第2次世界大戦中は米軍の後方支援にも大きく関与していた。戦後は米国政府の保護を受け、国際線市場で唯一、世界各地に運航できるエアラインとして発展。ニューヨーク、マイアミ、サンフランシスコを拠点に、大西洋、太平洋、南米などを結ぶ航空会社として大いに繁栄した。ただし、その代わりに国内線の運航はほとんど行わなくなり、後にこれが問題となった。 パンナムは、米国初の旅客ジェット機ボーイング707のローンチカスタマー(開発にも大きく関わる初めてその機材を導入する顧客)となり、レシプロ機からジェット機への移行に成功した。また、世界初のビジネスクラス「クリッパークラス」を導入し、現在のビジネスクラスの略称「Cクラス」のルーツともなった。さらに、1960年代にはコンピューターを用いた飛行機とホテルの予約システム「PANAMAC」を導入し、これは今の座席予約システムの先駆けとなった。 この頃、「インターコンチネンタル」を設立し、ホテル運営にも乗り出すなど、航空路線の領域を超えて旅行業全体に影響を与える一大グループへと成長した。