世界のフラッグキャリア「パンアメリカン航空」はなぜ破綻したのか? 20世紀の航空文化を変えた絶大な影響力を振り返る
「米国の強さ」の象徴
パンナムは数多くの先進的な取り組みを通じて航空業界での存在感を示し、「世界各地に向かう米国の代表」としての役割を果たしていた。世界中にある支社や支店は、その国や地域のビジネスに精通しており、当時の米国企業が海外に進出する際には、 「大使館の次にパンナムの支社長に会うべき」 といわれていた(パンナム歴史財団のダグ・ミラー氏に対するCNNのインタビューより)。 文化的にも、米国を代表する存在として知られ、「007」シリーズや「2001年宇宙の旅」などの多くのヒット映画に登場している。また、ビートルズが1964年に初めて米国のテレビに出演するためにニューヨークに降り立ったのも、パンナムのボーイング707だった。 建築分野でも名を残しており、特に1963年にマンハッタンに完成した本社ビル「パンナムビル」は、当時世界一高い商用ビルであり、ニューヨークのアイコンのひとつとなった。このビルは、日本ではアメリカ横断ウルトラクイズの決勝の舞台としても知られている。 ビジネスと文化の両面で大きな成果を上げたパンナムは、戦後の米国経済の強さを象徴する存在であり、航空業界の発展に大きく貢献した「世界のフラッグキャリア」と呼ぶにふさわしいエアラインだったといえる。
大量輸送時代の幕開けと格安航空券
パンナムの名声を確かなものにしたのは、超大型旅客機ボーイング747(B747)の導入だった。当時、ボーイングは米軍の大型輸送機の選定競争に敗れ、開発中の航空機を民間でどう活用できるかを模索していた。しかし、B747は従来の2倍以上の座席数を持つあまりにも巨大な機体だったため、航空会社は関心を示さなかった。 そこで、創業者フォン・トリップは、より多くの乗客を運べるだけでなく、貨物機としても利用できるB747を25機導入する決断を下した。そして1970年にニューヨーク~ロンドン線で初就航を果たす。この購入後、B747の導入により実現可能になった充実したサービス(パンナムは2回席にラウンジを設けていた)や大量の供給が、国内外の航空会社に危機感を抱かせ、次々とB747を導入させるきっかけとなった。 当時、超音速旅客機に比べてスピードが遅くはやらないとされていたB747は、大ヒットとなった。また、B747の就航後に導入した各社は、急増した座席数を埋めるために 「安い運賃で販売して少しでも空席を減らす」 というビジネスモデルを採用するようになった。これにより、旅行代理店に大量の航空券が行き渡り、格安航空券が急速に普及した。こうして多くの人々が飛行機を利用するようになり、「空の大量輸送」時代が幕を開けた。飛行機が 「ミステリーのアリバイ工作に使われるほど珍しい存在」 だった時代から、誰もが乗れる乗り物へと変わったのは、航空業界のリーダーであるパンナムとフォン・トリップのB747導入の決断が大きな影響を与えたといえるだろう。