「お母さん食堂」という名前の「大問題」…実は意識の高い人ほど勘違いしやすい「とんでもない思い込み」
先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう。 【写真】「お母さん食堂」という名前の「大問題」…「無意識の差別」というワナ 気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
初めの「問い」を見定める
例えば、「人々から差別意識を無くすためにはどうすれば良いのか?」という問いを考えてみましょう。 これは社会的にも深刻であり、必ず解決されなければならない問題です。この問いに取り組む人は、多くの場合「差別意識を取り払ってもらうために、まず異文化を体験してもらおう」、「多様な人々がいることを理解してもらおう。その方法として相応ふさわしいのはA案とB案であり、なぜなら……、したがって……」などの流れでアーギュメントを組まれるのではないかと思います。 ですが、この問いはどこまで「真の問い」たりえているでしょうか? 異文化体験をしたり、人々の多様性を理解したりすることで差別意識にまつわる問題が解消されるのであれば、とうの昔にこの問題が解決されていても良さそうなものです。そうしたすぐに浮かぶ旧来の解決策を根本的に阻んでいるからこそ、この問題は厄介なのです。 すると、真の問題は別のところにあるかもしれません。ここで、問いを立てる思考力──言い換えれば、既存の問いによって隠されてしまっている未知の問いを探究する思考力が必要になります。 先ほどの問いの形は、「人々から差別意識を無くすためにはどうすれば良いのか?」というものでした。しかし、もしかしたら、人々の意識の中にそもそも「差別意識」が無い可能性があるのです。そういう人たちは、「私は別に差別なんてしてなくて、当然の<事実>を述べているだけですよ」という主張をしてくるかもしれません。 つまり、「悪意が存在するからこそ悪意ある行動がなされる」わけでは必ずしもないのです。(逆説的に聞こえるかもしれませんが)悪意がなかったとしても、人は悪意ある行動を取ることができてしまいます。 ここまで考えることで、私たちは「初めの問い」を次のような形に変化させることができます。すなわち、「明確な差別意識がないにもかかわらず、人々に差別的な言動を取らせるものは何か?」という問いです。 このように考えることで、私たちは問題の出所を、人々の意識の内部ではなく、外部において見つけだそうと目を向けることができます。そして差別的な思考や言動が再生産される現場を観察してみると、それは多くの場合、「言葉」を舞台にして引き起こされていることが明らかになります。