「お母さん食堂」という名前の「大問題」…実は意識の高い人ほど勘違いしやすい「とんでもない思い込み」
「お母さん食堂」は何が問題か?
言葉こそは、私たち人間にとって、従者であると同時に主人でもある存在です。言葉は人間にとって単なる道具でしかないはずなのですが、別の側面から見てみると、言葉ほど人間の思考やものの見方を規定するものはありません。 例えば、私たちは小学1年生のときに「男」と「女」という漢字を習いますが、日本語において、性別を表す漢字はたったこの2つしかありません。つまり日本語の漢字は、性の多様性を捉えることが全くできていないのです。 本来であれば、LGBTQ +の方々の性を表す漢字が存在しても良かったはずですが、子どもたちは「男/女」という漢字(概念)しか習わないため、「人間もふつう男女の二種類しか存在しないはずだ」という考え方が自然と身についてしまいます。 子どもたちは、別に好き好んで「男女二元論者」になりたいわけではありません。そうではなく、「男/女」以外の性を表す漢字がそもそも日本語には存在しないからこそ、子どもたちは「男女二元論」的な思考に陥ってしまうのです。 そうした考え方のまま大人になってしまうと、「男は男であり、女は女なのに、それらが混ざっていたら変じゃないか」といった差別的な言動を、差別意識なしに取ってしまう可能性が高まるのです。 今はジェンダーについての差別の例を引き合いに出しましたが、これ以外にも、私たちの身の回りには様々な差別や偏見が溢れています(例:国籍や出身地域、学歴、職業などに関する差別)。社会に広まっている言葉は、容易に人々のものの見方や考え方を支配してしまいます。 つまり私たちは、人々に差別的な言動を取らせてしまう言葉の用法を点検し、場合によってはその修正を図らなければならないのです。 例えば、ある企業が惣菜ブランドの名前を「お母さん食堂」と命名しましたが、このネーミングは、「女性が家事をするものだ(男性は料理が提供されるのを待っていれば良い)」という規範的な主張と容易に結びついてしまいます(それが無自覚的であるならば、さらに問題であると言えるでしょう)。 また、別のCMですが、お母さん役の人が「今日は出前で良い?」と子どもに聞いたところ、その男の子が元気よく「許します!」と母親に発言するというCMがありました。「許します」ではなく、「大変ならパパにお願いしたら?」とか、「一緒に作ろうよ」とかいうセリフがあっても良かったはずですよね。 こうしたCMが人々の無意識に影響を与え、性別によって人間の役割が割り振られる(「男は女の家事の怠慢を許す立場にいる」)という旧態依然とした思考を人々に取らせてしまうのです。こうした言葉の力をいかにして「別の言葉の力」によって変えていくか──ここまで問題の深層を理解することで、ようやく私たちはアーギュメントを構成するための第一歩を踏み出すことができるのです。 すべては「問い」から始まります。初めの問いが事柄の本質を捉えきれていない場合、私たちはいくら時間とエネルギーをかけても、説得的なアーギュメントを導き出すことはできず、空回りしてしまうだけでしょう。 重要なのは、本質的な問いを覆い隠してしまう表面的な問いを剥ぎ取り、真に問われるべき問いを探究し続ける姿勢なのです。 さらに連載記事<アタマの良い人が実践している、意外と知られてない「思考力を高める方法」>では、地頭を鍛える方法について解説しています。ぜひご覧ください。
山野 弘樹(哲学研究者)