“一般家庭”から「超エリート進学校」に進んだ女性が感じた格差の正体「イジメられすらしない」
打ち解けやすい空気を纏う女性だと思った。色白で華奢な四肢をややせわしなく動かし、笑顔を絶やさずこちらに思いを伝えてくる。渋谷の人気店「道玄坂クリスタル」に所属する、わかなさんだ。親しみを演出しているのではなく、奥底から人とのつながりを渇望しているように感じられる。 わかなさんは、中学受験における圧倒的な強者。難関入試を突破し、超のつく名門校の扉をこじ開けた。偏差値表の遥か高みにのぼり詰めた彼女だが、「常に心は不安定だった」と振り返る。両親はともに国立大学卒で、大企業勤務の父親と教職を修めたインテリ専業主婦の母親。何不自由ないかに思われる家庭に巣食う病巣の正体とは――。
母が病に倒れ、家庭が崩壊していった
わかなさんが育った家庭は、肩書だけで判断するなら模範的とさえ思える。だが、わかなさんは力なく微笑んで首を振る。 「家族の歯車が狂い始めたのは、私が3、4歳以降だったと記憶しています。母が脳の病気で手術を余儀なくされ、長期入院をしました。父は勤め人ですから、私と妹を見る人手が必要です。幸い、親戚が協力してくれましたが、より幼い妹のケアに注力するため、私には子ども用の学習ドリルが与えられていました。『勉強させておけば大人しくなる』と思われていたらしく、実際私も思考するのは好きだったのだと思います」 わかなさんの両親は単なるインテリではない。それぞれ、モデル業、ミスコン出場を経験した華やかさもある。だが脳に障害を負った母親と対峙した父親は、現実を受け入れることができなかった。 「当たり前ですが、退院した母は以前とは別人のようになってしまいました。言語障害が残り、医師からリハビリ用に渡されたドリルは小学生用のものでしたが、それすら満足にできず『死にたい』とよく泣いていました。外見も、手術痕を隠すためのバンダナをずっと巻いていた印象が強いですね。 父も精神的に追い込まれ、聴力の一部を失い、入院までしてしまいました。そのころから怒りっぽくなり、しばしば言うことを聞かない妹を殴るなどしていました。妹が流血したのをみて、当時小学校低学年くらいだった私が救急車を呼んだのを覚えています。私も数回程度ですが、父には殴られました。かつて愛した母の姿ではなくなってしまったことで、父が壊れていくのがわかりました」