「井上尚弥は天才ではない」と父・真吾が断言する理由とは。「尚には素直さと愚直さがあった。いや、それは今でも」
◆天才とは 天才とは何か。 ボクシングで一時代を築いたマイク・タイソンを例にあげましょう。 彼は12歳までに51回も逮捕され、少年院に収監。少年院の更生プログラムとして行われたボクシングで頭角を現しました。この稀有な才能の持ち主はカス・ダマトという優れたトレーナーに出会い、厳しい訓練でその才能を開花させ、20歳でヘビー級の世界チャンプとなりました。 しかし、その栄光は長く続きません。ダマトの死後、転落がはじまります。アルコールやドラッグ、女性に溺れ、自堕落に過ごし、ろくな練習もせずに試合のリングにあがる。それでも勝ってしまい、より自堕落に過ごし、挙げ句の果てにレイプ事件で収監されます。 リングでの話題よりもリングの外での話題ばかりが報じられ、トラブルを抱えていく。そのトラブルから逃げるためにアルコールやドラッグにふける。その後のタイソンはといえば米連邦裁判所に自己破産を申請したり、器物破損容疑、コカイン使用で逮捕など悪いニュースばかり耳にしました。引退し、三度目の結婚をきっかけにようやく更生を誓ったと聞いています。 80年代後半までのタイソンは、世界中のどのボクサーも比肩しえないほど光輝いていました。全盛期にはタイソンが構えてにらんだだけで相手がすくみあがっていました。恐怖のあまり、空振りでも相手が腰を抜かしてダウンしてしまうほどの強さがありました。 しかしながら、2002年、世界王座統一の実績のあるレノックス・ルイスが正面から打ち勝つと、以後は畏怖されることも減り、二流の選手相手にもつまずく選手に成り果ててしまいました。 生涯レコードは58戦50勝(44KO)6敗、無効試合2。 「一流のチャンプ」といえなくもない、というレベルの戦績です。才能に溺れずに練習に励むことがあれば全勝全ノックアウト勝ちも夢ではありませんでした。「天から授かった才能をきちんと使えなかった」。悔しさが先に立ちます。 相撲でいえば朝青龍のように銀座のクラブで大酒をあおりながら、翌日の相撲では豪快な上手投げを決める、日本人はそういう選手に拍手喝采をおくる面もあります。しかし、もったいない。もっと精進すれば、白鵬をしのぐ平成を代表する名横綱になれたのに、と自分は口惜しさを感じてしまいます。 尚はといえば、銀座とも六本木とも無縁です。せいぜい海老名あるいは横浜くらいでしょう。覗いたことはありませんが、尚の携帯には「八重樫東」の名前はあってもグラビアアイドルやモデルの子の名前はないはずです。『FRIDAY』がどれだけ張り込んでも何も出てこないと思います。 ※本稿は、『努力は天才に勝る!』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
井上真吾
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