里中満智子「子宮筋腫、すい臓に腫瘍まで…5度の手術を乗り越えて。漫画家を続けられるのは、先輩たちのおかげ」
令和5年度の文化功労者に漫画家の里中満智子さんが選ばれました。高校在学時の1964年に『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞した後もなお、数々のヒット作を生み出してきた里中さんが歩んだ道のりとは。体の不調が出てくる中で、里中さんが死ぬまで現役という心掛けを持っている理由とは――。 【書影】幼少期から現代、そして未来への展望までを綴る。里中満智子『漫画を描くー凛としたヒロインは美しい』 * * * * * * * ◆死ぬまで現役 幼少の頃「健康優良児」として表彰された私は、長く自分は丈夫だと思い込んでいましたが、勘違いだったのかもしれません。既に5回も手術を受けています。 将来の出産をあきらめたくなくて子宮を残したのに、つい「あれも描きたい」「これも描きたい」と仕事に夢中になっているうちに、40歳が迫ってきました。 「そろそろパートナーを見つけて妊娠しなくては」と焦りはじめた頃にまた体調不良になり、子宮筋腫が見つかり切除することになりました。 このときも「今度こそ妊娠するように心がけますから」とドクターにお願いして、子宮全摘出ではなく筋腫のみを切除するという道を選んだのです。
◆家庭より仕事を優先 実は編集者の中に、とても好きになった人がいて、20歳のときに結婚しました。けれど、忙しい日々の中、徐々に気持ちがズレて、3年半ほどで離婚しました。 原因は私のわがままで、家庭より仕事を優先してしまった結果だと思っています。 ですが、二度と結婚しないと決めたわけではありませんでした。「健康になったら子どもを作りたいから、誰か紹介して」と周囲にお願いしていました。 それが言いすぎたらしく、「誰もいなかったら、うちの旦那を貸すから!」なんて言ってくれる人まで出てきました。 周囲はさりげなくいろいろな方を紹介してくださったらしいのですが、私が鈍くて全然気づかなかったのです。 あとで「あの人どうだった?」と聞かれましたが、「なんの話?」みたいな。 そんなこんなで数年が過ぎると、あんなに切羽詰まっていたのに「まあ、こういうのも縁だし」なんて思うようになっていました。
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