助っ人の歴代ベストナイン 本家(?)ベストナインは1人だけだが…最強の遊撃手は誰?【愛すべき助っ人たち】
日本人選手の独占的なポジション
前回は助っ人の三塁手を振り返ってみたが、今回は遊撃手。日本人選手にとっては花形といえる三塁手よりも、日本人選手が独占しているようなポジションであり、また二塁手よりも職人タイプ、いぶし銀といった選手が多いという印象も強い。助っ人は守備よりも打撃が、遊撃手は打撃よりも守備が求められる傾向が強かったことも一因だろう。 【選手データ】ラリー・レインズ プロフィール・通算成績 プロ野球のベストナインで助っ人が遊撃で受賞したのは1954年のパ・リーグでラリー・レインズ(阪急)で選ばれたのが、今のところ最初で最後。つまり唯一だ。内野の4ポジションで初めて助っ人がベストナインに選ばれたのだが、その後は完全に途切れている。レインズについては以前にも紹介しているが、来日1年目の53年に61盗塁と走りまくって盗塁王となり、“黒いハヤブサ”と呼ばれたスピードスター。ベストナインの54年には184安打と打ちまくって、打率.337で首位打者に輝いている。 ただ、これだけで歴代の助っ人で最強の遊撃手を決めてしまうというのも、あまりにも寂しい。“守備のベストナイン”と言われるゴールデン・グラブに目を向けてみると、ダイヤモンド・グラブとしてスタートした1年目の72年に第1号となっているのがバート・シャーリー(中日)だ。だが、ゴールデン・グラブのほうも、このバートが最初で最後、つまり唯一。やはり寂しい結果となった。レインズもバートも優勝とは無縁だったことも、最強と決めるのには弱い。 優勝への貢献度でいえば、2001年シーズン途中の来日でシーズンを通してのレギュラーではなかったが、近鉄にとって最後のリーグ優勝における救世主(大袈裟か?)となった遊撃手がショーン・ギルバート。打って打って打ちまくる“いてまえ打線”にあって、堅実な遊撃守備だけでなく、しぶとい打撃でも印象を残した名バイプレーヤーといえる異色の助っ人だった。優勝とは無縁だったが、2003年からの2年間、広島で遊撃を守ったのがアンディ・シーツだが、シーツは阪神で一塁を守っていた印象も強い。ギルバートもシーツも21世紀の選手。彼らを超える存在の登場を待ちたいところだ。 写真=BBM
週刊ベースボール